海南市下津町方(平成18年3月27日)
この神社は紀勢本線・加茂郷駅の南西約1.2kmの下津町方地域に鎮座しています。
御祭神は少彦名命(あわしまさま)で、社伝によると、景行天皇2年8月、21人の民人が少彦名命降臨の地粟嶋にお祀りしたのが始まりであるといわれています。当時粟嶋は島であり、その潟(方)硯浦の森に宮居を営み祭祀していましたが、ここは風浪が激しく社を維持するのが難しかったので、文永年間(1264〜1275)、浜中荘領主からの寄進により、現在地宮ノ谷へ遷座され、今も、当時の民人の遠い子孫が、宮座として、神社に奉仕しているそうです。
海路の安全を守るという御神徳は、中世以来、深い信仰を集め、正平12年(1358)、征西宮懐良親王が西海に赴く道すがら、海難を克服できたのは、侍臣渡辺某が粟嶋さまの御加護をお祈りしたからだとして、豊後に分祠をお祀りしたと伝えられています。
また、万葉の昔から、縁結びの神としても有名です。 (平成祭データ参照)
国道42号線から紀勢本線の踏切を渡り、すぐの所に粟嶋神社の社号標と鳥居、狛犬だけが居る極狭い社地があり、御旅所か旧社地と思っていましたが、ここは幣使隈という古蹟で、神功皇后の勅使が奉幣遙拝された地として残されているようです。ここから500m程奥に現在の社地があります。東北地方から九州に至る広い地域で信仰される、粟嶋神社の総本社としてはやや物足りない感のある規模ですが、背後の山の木々の緑の中、綺麗に整った気持ちの良い神社でした。