杉尾神社

海南市阪井1858 (令和4年10月15日)

東経135度15分57.98秒、北緯34度09分31.17秒に鎮座。

この神社は、海南市役所の東北東2.2km程の辺り、阪井の街外れに鎮座しております。

御祭神 大山祇神・誉田別命・表中底筒神・宇賀魂神・大己貴命・猿田彦神・大年神・奇稲田姫命・事代主命・市杵島姫命

由緒
当神社は、杉尾明神・八幡宮を主祭神とし、一村の氏神にして社殿美麗なり。
奥に建久2年(1190〜1199)鎌倉時代初期に書せしを永禄(1558〜1570)室町時代に寫しかえたるよし書せり。
元亀年中(1570〜1573)室町時代末期棟礼あり又慶長7年(1596〜1615)江戸時代初期に書せる祭事の記録ありて其巻末に去年大守浅野候より検地ありて神事の料なし困りて略式を新にする。
『南紀神社禄』に云う「杉尾神社はいづれの神なることを知らず元亀年中、八幡宮の当社修造の棟札いまにありその銘に曰く、二品仁助親王とありこは仁和寺号、厳島御宝、すなわち伏見院貞敦親王の御子にして後、奈良院御猶子なり」
伝説として、(おはらさん)お腹の神様として今でも御杓子をお供え祈願している。
多分食養生からであろうが、由来については、昔紀の川の河口に1匹の大蛇が川岸に流れついた。
玉をくわえ腹部に金色に光る杉織状になった輪があり、立派な足もあったと伝えられ、これぞ神の化身と小野田に頭部、杉尾神社に腹部、千種神社に足、と3体を埋め神として祭った。
今でも神社地である玉輪山には大蛇の好物とする「たにし」があり、夫婦であるとされている大蛇が生息しているのかもしれない。
又、氏子中より浅野家に嫁いでいた娘があり、嫁ぎ行く前夜はげしい腹痛におそわれ、うわ言に「北の山に埋もれている古い器があるから、それにて亀の川の水を汲み神社に供えてほしい」言われた通りすると、不思議にも激痛がおさまり無事赤穂に嫁ぐことができた。
それ以来お腹の神様として崇敬されてきたとも云う。
いづれにしても説は沢山あるが、「お腹痛けりゃ杉尾のお宮、腹のくろいのはなおりゃせぬ」とある。
いくら霊験あらたかなおはらさんでも、はらのくろい奴は古今東西通じてこのかぎりではないということである。
和歌山県神社庁公式サイト より。

案内と参道

鳥居

境内

神門

拝殿

左右の本殿

本殿縁側の陶器製狛犬


厳島神社・金刀比羅神社・秋葉神社

皇大神社

住吉神社 七福神社

末社