丹生酒殿神社

伊都郡かつらぎ町三谷(平成18年3月26日)

 この神社は三谷小の南約200mに鎮座しています。
 由緒によれば、「丹生大明神告門」によると丹生都比売大神は、神代この神社の裏山の榊山御瀧の地に第一御子高野明神はじめ一族を従え、榊を手にして天降ったとあります。

 丹生都比売大神(右座)は、天照大御神の妹神で別名・稚日女命ともいい、その子神、高野御子と共に大和・紀伊の人民の為に農耕、糸つむぎ、機織り、煮炊きの事などを教え、特に木の川(紀ノ川)の水で酒を醸造し、これにより丹生酒殿神社と称えられます。
 高野御子大神(中座)は丹生都比売大神の御子神で、高野山の名前もこの神の名に由来している、といわれ、別名狩場明神とも称えられます。
 誉田別大神(左座)はもと熊手八幡宮・鎌八幡とも称され、讃岐屏風ヶ浦から弘法大師産土神として高野山に勧請したものを明治初期の神仏分離の際兄井へ遷座、その後明治42年この地へ合祀されました。また、神社裏手の鎌八幡宮はイチイガシの大木をご神木とし、祈願成就のため鎌を打ち込んだことからこの名があるそうで、祈願成就のときは鎌が幹に食い込んでいきますが、不成就のときは脱け落ちると伝承されているそうで、明治42年に兄井の地から本来の社地であるこの三谷にある丹生酒殿神社裏手に遷座した模様です。
 丹生酒殿神社は丹生都比売命を始め復救の神を合祀したお社の総称で、三谷の氏神として崇敬されてきましたが、昭和10年・官弊大社丹生都比売神社摂社として合併されました。が、戦後独立し現在に至ります。謂わば丹生都比売神社が山宮とするとこの神社は里宮にあたり、丹生都比売神社の遥拝所でもあったようです。 
 社名の由来については異説がありまして、丹生都比売神がこの地に降臨したとき、地主神の竈門明神が酒を造り、初めて神前に供えたことに由来するともいわれています。

社号標 境内入口
平屋作りの割拝殿 裏側から見た本殿
拝殿の扁額
正一位勲八等丹生大神
正一位勲八等狩場大神?
右座社殿
丹生都比売大神
左座社殿
誉田別大神
中座社殿
高野御子大神(狩場大神)



鎌八幡宮社号標と参道入口
境内入口 ご神体のイチイの木と祈願成就の鎌
       榊山神社。
どうもこの地の御霊神社のようです。
ご神木の大銀杏
桜は未だこの程度でした