伊都郡九度山町慈尊院(平成18年3月26日)
この神社は、紀ノ川の南岸に鎮座し、弘法大師により開山された慈尊院とともに創建されたお社で、世界文化遺産に登録された古社です。お社がとても綺麗に整備されていると想っていたら、20年毎に正遷宮が行われ、2002年がその年に当たっていたそうで、お社は補修、化粧直しされ、丹生の名にふさわしく朱赤に塗られ、檜皮の屋根の濃い茶色、背後の杜の緑と良く映え、とても華美な雰囲気を漂わせていました。
由緒によると、弘仁7年(816)弘法大師・空海により創建されました。空海は、真言密教修法道場の根本地を求めて東寺(京都)を出立。各地を行脚中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。その猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放ち空海を高野山へと導きましたが、その地を神聖な霊地で有ると感じた空海は、くだんの猟師は神さまが姿を変えられ狩場明神となって神託を与え、一山を下さったものであると感得しました。
狩場明神のお導きにより高野山金剛峯寺を開山することができた空海は、仏教・真言密教の布教の基となった狩場明神との運命的な出会いを忘れず、政所として慈尊院を開いた時に参道中央、正面上壇に、丹生・高野明神社(現丹生官省符神社)を創建奉祀し、諸天善神への祈願地として、また高野山町石道(国指定史跡)の登山口、導きの神、禊の神として厚く奉拝しました。
社号も丹生高野明神社、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省符神社と変遷し、官省符荘の総社として栄えましたが、明治維新後、神仏分離令等により多くの建物は取り壊され、室町時代の天文10年(1541)に再建された本殿の内、三棟(国指定重要文化財)のみが往年の姿をとどめています。(弘法大師創建の社 丹生官省符神社参照)
因みに、官省符とは、律令制の下での荘園の不輸不入の特権の事で、ひらたくいうと国(当時は朝廷)から免税され、また干渉も受けないという特権が与えられた太政官の官符と民部省の省符をいいます。
慈尊院と一緒の神社入り口 | |
慈尊院から境内への階段 | |