東牟婁郡串本町潮岬(平成18年3月28日)
この神社は本州最南端、潮岬の突端に鎮座しています。駐車場からの参道途中には明治6年9月15日に正式点灯された日本初の洋式木造灯台・潮岬灯台があり、彼方には太平洋の荒波が何処までも続いています。ここを右折すると、その先の参道の断崖下には、最初に少彦名命を勧請した静之窟があり、またここは古代の太陽祭祀と関係深い地でもある、ということです。また、季節柄木々の緑の間に淡いピンクや白の桜の花が咲いていて、殆ど人のいないお花見を堪能してきました。そして参道の途中には花山法皇、白河天皇の御製歌の碑があったり、宮中での御酒宴に使う御綱柏を採りに来たという伝承が残っていたりと、古くから天皇家や宮中との関係も深かったようです。
第12代景行天皇28年、潮岬は御崎の地にある「静之窟」へ少彦名命を始めて勧請
し、潮御崎神社の創始となりました。その後静之窟より静之峯へ遷座され、貞観12年
(871)には潮見の端へ遷座しましたが、明治2年に潮岬灯台建設のため再び旧地静之峯へ遷座し、明治31年社殿を改築して今日に至りました。
日本書紀に、「大国主命と少彦名命は中津国を経営して後、少彦名命 熊野の御崎に至りて遂に常世国に渡り給う。」とあり、この神話にちなんで縁の深い御崎の静之窟に勧請し祭祀を始め、熊野御崎神社、御崎大明神、御崎観音、水崎明神と社名の変遷を経て現在の潮御崎神社となりました。また由緒書きには「周参見より下田原に至る十八ヶ浦の鰹漁の船頭達が毎年潮御崎神社に参集して執り行った鰹漁に関する約束を、神の御名に於いて遵守した。」と漁業関係者との深い関係が書かれており、海村18ケ村の総産土神として確固たる厚い崇敬を受けていたことが伺えます。