水門(みなと)神社

東牟婁郡串本町大島(平成18年3月28日)

 この神社は紀伊大島の北西、40号線・田代口バス停近くに鎮座しています。少丘陵上にある神社までは入り口から境内まで緩い階段を156段も登らねば行き着けず、苔むした階段を一歩一歩登っていると、周囲の雰囲気がだんだん神々しくなっていくような気がし、境内に着く頃には神の息吹を肌で感じるような気がしていました。そんなに大きな神社ではありませんが、神の坐します場所に相応しい佇まいの神社です。
 応神天皇が幼少の砌、神皇皇后が三韓からの帰路 香坂皇子と忍熊皇子の謀犯が起こり、難を逃れるため家臣とともに南海の地に船で逃れました。そして漂流の果てに着いたのが水門浦の苗我島とされています。これを知った大島浦の村民が船を出して天皇を奉還し、大島浦にお迎えしたと伝えられているのがこの地です。今でもこの時の様子を伝えているのが毎年2月11日に行われる水門神社例祭の「水門祭り」といわれる、豊漁と商売繁盛を祈願する勇壮な海の祭りです。神事の後、お的、獅子舞の奉納、港内でのもちまきに続き、お祭りのクライマックス「鳳」「隼」の2艘の船に乗り込んだ若者が大島から串本の往復で速さを競う櫂伝馬競漕が行われています。
 「水門神社」は、大正3年に旧家沖一族の氏神であった「八幡神社」と、古くから村人の氏神であった「若宮神社」と、エビスの鼻に祀られていた恵比寿神社を合祀したことにより、「水門神社」と呼称されるようになりました。八幡神社は、寛文8年(1668)当時の大島浦庄屋・沖作左え門が建立、また、若宮神社は別の所に祀られていたものを、明応3年(1494)場所を移し再建されたと棟札にありますが、両社ともそれ以前からの創建といえるでしょう。水門神社の「水門」は、大島浦の古名です。

神社入口 鳥居の扁額
さあ、いよいよ156段の階段登りの始まりです。 参道脇の満開の桜
途中にあった境内社 まだまだ階段は続きます
やっと境内入り口にたどり着きました 割拝殿
弊拝殿 本殿
大正3年生まれの焼き物の狛犬。
何処も欠けたところが無く良く保存されています。
少し苔が付いたりして、渋い良い味が出てきました。
(大正3年9月吉日建立)
境内社・恵比寿神社