熊野三所大神社

東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮(平成18年3月29日)

那智山勝浦線、那智駅から徒歩5分ほどの所に鎮座しています。熊野三所権現(家津美御子大神・夫須美大神・速玉大神)を祀ることから、熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)と呼ばれています。又、元「浜の宮王子」で、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしゃ)とも呼ばれる。江戸時代はすぐ前は海だったのでしょうか。

由緒書きはこちら。

社号標と神社入り口。鳥居の右手が浜の宮王子社跡と、夫婦楠。

割拝殿と奥に本殿。

流造りの優雅な本殿。

三狐神(みけつかみ) 丹敷戸畔命(にしきとべのみこと)

補陀洛山寺。左手の看板は、ユネスコの世界文化遺産に登録された旨書かれています。神社はすぐ右手に鎮座しています。前にこの地を訪れて、境内にある「補陀洛渡海祈念碑」を読んでいたら、住職さんに声をかけられて、補陀洛渡海のお話しを聞かせて戴きました。お話しによれば、昔は渡海は本人の意志だったそうです。しかし何時の頃からか、ここの住職はある年齢になると、渡海が義務となってしまったようです。ところが江戸時代になり、屋形を破り付近の島に上陸した金光坊という人が現れたようです。その金光坊が上陸した島が金光坊島。何故か「こんこぶじま」と呼ばれる小島が那智湾にあるようです。でも「金光坊事件」と言われた事件以後、住職が亡くなったあと「渡海船」に乗せて流すようになったそうです。

何と、補陀洛渡海はよみがえったようです。補陀洛山寺が世界遺産に登録されたのを記念して、「那智参詣曼陀羅(なちさんけいまんだら)絵巻」をPRしようと観光協会が復活させたようです。まさか現代の渡海上人は、流し放しにするのでしょうか。

室町後期の那智参詣曼荼羅には、渡海上人のほか、見送りの僧や民衆、途中まで綱で引く船や同行者も描かれるようです。当時もお祭り気分だったのでしょうか。