廣八幡神社

有田郡広川町上中野(平成18年3月27日)

 この神社は湯浅御坊道路・広川ICから国道42号線を和歌山市方面に向かい、名島で178号線に入り、共撰出荷場角を左折。600m程で左側に鎮座しています。

 御祭神は譽田別命、足仲津彦命、息長足姫命 、若宮社には大鷦鶺命を、高良社には武内宿弥、天神社には菅原道真公を祀っています。由緒書きには、広八幡神社は、もと八幡宮と称し、広荘の産土神社でした。本殿には、誉田別命・気長足姫命・足仲津彦を祀り、若宮社には大鷦鶺命を、高良社には武内宿弥、天神社には菅原道真公を祀っています。紀伊続風土記では欽明天皇の頃の創建と伝えられ、天正13年(1585)には豊臣秀吉により、神庫や防舎などが焼失し、一時衰退しました。そのご慶長五年(1600)浅野幸長が藩主になると神領を寄贈され、元和5年(1619)紀州徳川家が入封してからは歴代藩主に篤い保護を受け、次第に興隆しました。明治の神仏分離までは両部神道で、現在の社殿の外に末社・多宝塔(現在広島市三滝寺に移築、県文化財指定)・鐘楼(同町上中野の法蔵寺に移築、国重要文化財指定)・西門(同町広 安楽寺に移築)・神楽所・観音堂などが建ち並んでいたが、漸次取り払われてしまいました、とあります。
 参道の鳥居を潜り、暫く気持ちの良い参道歩きをすると室町時代に造られたという入母屋造の重厚な楼門が目に入ります。その楼門を潜り境内に足を踏み入れると、秋祭りに国選択芸能の田楽舞が奉納される舞殿があります。その後ろには全国でも二例しかないという舞台式拝殿があり、その奥には本殿並びに天神社・若宮社・高良社が荘厳かつ華麗な佇まいを見せ、背後の杜としっくり溶け合っています。境内の周囲は、樹齢数百年と思われる古木が聳え立ち、背後は小高い丘になっており、この神社の歴史の重さのようなものを感じました。
 また、この神社の宮司さんは、大変気さくで、親切で、博学で、お話ししていると時の経つのを忘れ、ついつい長居してしまうほどでした。

道路の一の鳥居 社号標と国重文の重厚な楼門。
室町時代に造られた入母屋造、 
本瓦葺三間一戸楼門の随神門です。
しょうわ狛犬
檜皮葺きで渋い屋根の焦げ茶色と朱の柱、白壁の対比が美しい国重文の拝殿。
室町時代の建立でこけら葺き入母屋造、正面舞台造の珍しい建築様式です。
本殿も国重文で室町時代の建立。三間社流れ造り・屋根は檜皮で葺いてあります。
舞殿 本殿
向かって本殿左に境内社・天神社、高良社、右に若宮社が祀られています。
三社とも全て一間社隅木入り春日造・檜皮葺で国の重文指定となっています。
神殿狛犬。未だ彩色が残り、歯並びの綺麗な子達です。
この子達の外に室町から桃山時代の建立と推定される
木製神殿狛犬が本殿の内陣にいますが、普段は見られません。
写真で見る限り、高さは50cm前後で、やんちゃそうな若々しい狛犬です。
帰り際、我々が狛犬探しの旅をしている旨お話しすると、
どうぞと差し出された神殿狛犬の写真。本殿にいらっしゃるようです。
拡大写真はこちら。
神輿殿 境内の様子
桜には未だ少し早かったようです。 ご神木
宮司さんの奥様が丹精込めてお世話をしている珍しい品種の水仙。
境内内にも、垣外にも驚くほどの水仙の群落が見られました。
その中から、宮司さんがわざわざ何本か手折ってくださり、
旅行中も家に帰ってからも、品の良い香りに心和み、旅の思い出に浸っておりました。