鵜坂神社

富山市婦中町鵜坂212(平成21年8月19日)

東経137度11分21.64秒、北緯36度40分7.3秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は56号線と神通川の中間に鎮座しています。

 御祭神:面足尊、惶根尊、鵜坂姉姫神、鵜坂妻姫神、大彦命、合祀:天照皇大神、豊受大神、誉田別大神、豊玉姫命、倉稻魂神、建御名方命、水波賣神、天兒屋根命
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、建国祭・2月11日、祈年祭 鎮火祭・2月23日、例大祭・4月29日、除蝗祭 家持彰祭 鵜坂寺別当慰霊祭・6月16日、新嘗祭・11月23日
 由緒:本神社は延喜式内の大社で、第10代崇神天皇の頃北陸地方を開拓した大彦命の勧請により創建されたのを創祀とし、白雉2年(652)堂宇を再建したと伝わる。奈良時代初期には高僧行基が24院7堂伽藍を建立し、越の総社として年中七十二度神事が行われた。万葉集にもその名が見えるなど、鵜坂神の神威は都にも聞こえ、平安時代には神階従三位に上り、天皇の病気平癒を祈願する使いを度々遣わされるなど延喜式神明帳に名を連ね、白河・堀河天皇の御代(11世紀末)には御ト奏により中祓を科せられた。治承3年(12世紀末)源義仲の兵火で焼失したが、源頼朝が再建し、十二ヶ村を社領とし神階正一位に進めたという。
 その後上杉謙信の兵火や神通川の水災などにより皇子の盛観を失ったが、往古の神徳の高さから、明治6年社格制定により県社に列せられ、大正4年鵜坂地区19社が合祀し現在の鵜坂神社となった。
 木若(しもと)祭(尻打祭)
 本神社で平安時代から江戸時代まで行われていた木若(しもと)祭は、婦女の貞操を戒める神事として日本5大奇祭のひとつに数えられ全国的に有名であった。この神事の起源は、正月に七草粥を炊いた残りの薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという平安朝の公家の遊びが伝わったもので、安産、縁結ぴ、増産を願ったものと思われる。
 この祭りは明治初期から第2次大戦の終戦まで、雌馬を使って名残をとどめていた。
  いかにせん 鵜坂の社にみはすとも 君がしもとの 数ならぬ身を…源俊頼(平安朝歌人)
  油断して行くな鵜坂の尻打祭…芭蕉
  あなこはや鵜坂祭の音にむち…其角
  鵜坂河 渡る瀬多み この吾が馬の 足掻きの水に 衣ぬれにけり…大伴家持(万葉集巻17、4022)

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社頭
社号標
「延喜式内社
 越の大社
 鵜坂神社」
神橋と神社入口
手水舎
雄々しく威厳に満ちた狛犬
双方阿で、右の狛犬は宝珠を付け、口中に玉を含み、左の狛犬は角を付けています。前脚は太く真っ直ぐに伸び、爪の先まで丁寧に彫られています。鬣や尾は太く立体的に波打っています。
参道脇に建つ灯籠
境内の様子
拝殿前の狛犬
拝殿
拝殿内の様子
本殿鞘堂
鎮守の杜外観