杉原神社

富山市婦中町浜子3197(平成21年8月18日)

東経137度9分23.81秒、北緯36度36分56.13秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は井田川の東、134号線北に鎮座しています。越中國婦負郡・杉原神社の論社となっている黒田、田屋の両杉原神社の丁度中間位置にあります。

 御祭神:奥津那藝佐彦神、邊津甲斐辨羅神
 由緒:この浜ノ子の杉原神社に関しては、種々文献等を調べてみてもあまり詳しい記述がなく、祭神を見ても他二社が「久々能智神」が主であるのに対し、「奥津那藝佐彦神」「邊津甲斐辨羅神」と、かなり異なっている。これら二神は共に海の神であり、地名に「浜」とあることから、ある時期に海縁から移住してきた人々が、それまで祀っていた氏神をそのままこの地にお連れして、この地の氏神「杉原神」と合わせ祀ったものと推測できる。また、浜ノ子の杉原神社が黒田、田屋、両杉原神社を結んだ直線上にぴったりと位置していることから、他二社の後から計画的に建立したものと考えられる。このあたりは推測の域を出ないが、延喜式に浜ノ子の杉原神社を記した文献がほとんどないことからも、他二社より時代が下る可能性が高い。
 この浜ノ子の杉原神社には、他二社と異なり、杉原社家ではなく野上社家が奉職している。古くより(天保年間以前(-1681))、この神社には野上氏が奉職してきており、それを継承したものであろう。野上氏は享保年間(1716-1736)に上新川へ移転しているため、現在の野上社家は明治維新の神仏判然以降、再び奉職するようになったものと思われる。徳川幕府の寺請制度が地方に浸透し、寛文年間(1661-1673)には婦負郡細入村片掛村の真言宗長久寺の僧が別当として奉職するようになり、以後、明治まで奉仕を続けた。
「杉原神社」公式サイトより転載)

入口に立つ社号標と台輪鳥居
境内の様子
手水舎
拝殿
本殿前にいる狛犬
阿の上顎が欠けているのは残念ですが、鋭い眼孔のとても出来の良い浪速狛犬です。
本殿鞘堂と本殿