素盞鳴社

富山市東猪谷1627 (令和元年8月18日)

東経137度15分17.97秒、北緯36度27分39.51秒に鎮座。

この神社は、JR高山本線・猪谷駅の南東1.2km程の辺り、東猪谷の街外れに鎮座しております。

御祭神 素盞鳴尊

由緒
 太古の昔から新しく土地を開き「むら」をつくる時は必ず自分達一族の祖先(氏の上)を祀った。これが日本における神社の始まりである。東猪谷の鎮守の森である素盞鳴社の勧請された年月は不詳であるが古老の記述によると数千年前この村に土屋野(トヤノ)様という豪族が山麓に居を構え子孫繁栄を祈念するため守護神として牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりで明治維新の際八坂神社と称し更に昭和18年素盞鳴社と改称された。
 昔、飛騨から流れてくる川が宮の辺りに波打ちよせ、小野篁(おののたかむら)が通行の際飛騨山脈より流れ来る神通川の水が神社の辺へ打寄せていたので、この水で御手を洗い清め此の神殿へ参詣したと伝えられる。(キラズの山麓にトヤノの地名があり土塁あとがある)
 大昔より鎮座まします神殿を二十年毎に遷宮し奉る儀式があり、その模様も漠として詳かではないが、二十年ごとに神殿を新築し古き宮殿を焼清したといわれている。その後、元禄年中前田大納言利家公が加越能の太守として此の地を治め、飛越の国境東猪谷に関所を設け加賀金沢城より御番役が派遣される様になり、以後それ等武士の参画により御遷宮の御式には大名行列を模した行列を随行せしめられることになったので、大名加賀行列と称するようになった。本行列は例年行われる春季祭礼の邪霊払いとして行われる獅子舞の道行の笛太鼓に合せるものでしかも芸当上甚だ特異なものであり、我が村独特の舞曲として今日まで伝えられた誇りあるものである。明治三十六年以後は宮殿の新築を行わなくなったので、正しくは御遷座祭と称すべきではないが、昔からの言葉のまま今なお御遷宮と住民は呼んで社殿の修復や建造物の建立などの事業を興しこれに変えて今日まで盛大に祭行され続けている。
新川神社公式サイト より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿

本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正12年(1923)4月建立)