素盞鳴社

富山市舟渡832 (令和元年8月18日)

東経137度14分42.60秒、北緯36度28分11.14秒に鎮座。

この神社は、JR高山本線・猪谷駅の東500m程の辺り、舟渡の街中に鎮座しております。

御祭神 素盞鳴尊

由緒
 山本外治氏が中村菊次郎爺さんに聞いている事では、尾萩野の別宮(わかみや)から別れて現在地に祀られてから約千年ぐらい、平安中期で一條天皇の御代の事だという。祀られた場所は部落の高台で眺めも良く、鬱蒼とした森で荘厳さがあったからであろう。社名は八坂社で御神体は石像であると伝わり、御祭神は素盞鳴尊である。拝殿前の石灯籠は寛延4年(1751)の奉納(安右衛門・清吉)、参道の石段は明治12年(1879)に作られた物。下は4段、中は37段、上は4段で45段あり、地元の人の中には「しじゅうごきげんよく、みんな仲良く暮らせるように」との祈りながら長い階段を登るという。現在の本殿・拝殿は明治24年頃に飛騨の但馬という飛騨・越中までも名の通った腕利きの大工が建てた物。お宮の後ろに大変立派な大欅があり、その一本で本殿を造ったという。この地方で但馬大工の弟子になった小糸の野口国義さん、西猪谷の早瀬仙太郎さん、増田定次郎さん、小坂勝次郎さん達は皆腕利きの立派な大工さんになった。大正3年の水害の時、宮の下の広場が砂で大分埋まったことや、今度お宮を建て替えるときは拝殿の前庭が大変狭いので約二間ほど後ろに下がって建てるように先人から聞いている。
 昭和10年頃、神官の舩木信敏宮司が八坂社は素盞鳴尊を祀ってあるので東猪谷と舟渡の社名を素盞鳴社と変更するよう神社庁に届けて今日に至る。
 いつの時代も変わらないのは子孫繁栄と夫婦円満を願う心で、境内に小さいながらも男根崇拝の物が祀ってある。東猪谷、小糸と同じく湯釜神事がある。
新川神社公式サイト より。

参道入口

神額

参道

拝殿

本殿覆屋


末社