奥田神社

富山市奥田本町5-19 (平成26年9月20日)

東経137度13分27.94秒、北緯36度42分37.61秒に鎮座。

この神社は、富山ライトレール・下奥井駅の西北西300m程の辺り、奥田本町の街中に鎮座しております。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大御神・菅原道真公・琴比羅大神

由緒
奥田神社はその昔熊野社と称し寛保元年(1741)凡そ二百七十数年前奥田郷であった。「奥田、下奥井、下新、鶴田、下赤江、桑原、中島、上赤江、上奥井、西田、窪、狭間、粟田、粟島、下富居、上富居、宗左ヱ門開、弥右ヱ門」の以上18ヶ村部落を統括する守護神として崇められておりました。
昭和9年(1934)11月27日附近に鎮座の琴平神社を合祀すると同時に指定村社に昇格し、奥田郷に在りて指定村社としてただ熊野神社一社あるのみで広く富山市民からも由緒ある神社である事が認知され、信仰を篤くし敬神の念を高めたのであります。
熊野神社は官幣社熊野那智大社より「みたま」を受け、その分社としても知られ、その後赤祖父傳兵衛氏当村に来て永住の地となし社殿の改築にに努めました。当時境内は1200余坪の広大な敷地を有しており樹木鬱蒼とし老木も無数に繁り漁師等は出漁の際、或は岩瀬港に出入りする航海に唯一の目標林とされていたと伝えられております。
昭和48年(1973)熊野神社を奥田神社と社名変更により以来奥田神社と呼号され、次いで53年(1978)9月社殿を改築し、昭和56年(1981)9月玉垣の竣工を見て神社の風格を一新し、現在に至っています。
社紋の烏は神武天皇が日向の国から蝦夷を討つため紀伊南端より熊野に北上、御東征の時進路に難渋して困っていたところ天の神は道案内として「八咫烏」を遣わしたので一行はその導きによって大和の熊野川のほとりにたどり着いたといわれています。その由緒で熊野神社の社紋が烏となっています。
境内由緒書き より。

神社入口

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治42年(1909)3月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


導き八咫烏

水波賣神