富山市水橋中町599 (平成26年9月20日)
東経137度18分09.22秒、北緯36度45分02.02秒に鎮座。
この神社は、あいの風・とやま鉄道線・水橋駅の北1.3km程の辺り、水橋中町の街中に鎮座しております。
御祭神 大山咋神・建御名方神
配祀 天照皇大神・火産霊神・少彦名神
由緒
当神社は承平年間(931〜938)の創祀と伝えられ、古来武将の崇敬篤く、主祭神の大山咋神は国家守護、五穀豊穣の神と知られています。
歴史的記録としては、文治3年(1187)に源義経が奥州下向の際、当神社に立寄り、天正10年(1582)には前田利家公、魚津攻めの際、戦勝祈願書を奉納したと伝えられています。
また、豊臣秀吉公が富山城に佐々成政公を攻めるに当り、秀吉公の一隊が水橋浦に上陸し、先ず当神社に参詣したと謂う。
その他、水橋城主の水橋将監や、加賀3代藩主前田利常公等も度々参拝し、幣帛(お供え物)を奉ったと云われています。
明治14年(1881)、近隣の俳人を招いて句会を催した四時万像句額を、また、大正2年(1913)横綱梅ケ谷揮毫の書を掲げています。
なお、現社殿は建築技法の粋を集め、優れた流れ造りで、本殿は明治40年(1907)、拝殿は大正3年(1914)の改築であります。
特殊神事としては、春季例大祭時お神輿の火渡り行事が古い伝統を継承しています。
境内由緒書き より。
神社入口
鳥居
境内
参道途中の狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋