雄神(おがみ)神社
砺波市庄川町庄4786 (平成21年5月3日)
東経136度59分55.03秒、北緯36度35分18.14秒に鎮座。
この神社は庄川右岸・雄神橋東詰めの北東約250m、11号線に面して参道入口があります。そこから境内までは約100m、石段を登ると明神鳥居奥に大きな拝殿が建立され、拝殿の後方に接続している覆屋の中に本殿が建立されています。又、本殿のみならず各境内社にも神殿狛犬がきちんと置かれていました。
御祭神:高龗神、闇龗神、配祀:瀬織津姫神
祭礼日:4月4日、10月23日、33年目の式年祭あり
境内社:秋葉社、天満宮
由緒:通称、庄の宮、雄神様。古来、庄下郷36ヶ村の総社で、旧社格は郷社。この神社の一帯を「雄神の庄」(庄は荘園の意)と呼んだ。
創建の年代は不詳である。国史の初見は、『日本紀略』延暦14年(795)8月18日条で高瀬神・雄神・二上神に従五位上の神階を授けたという記述である。さらに以前、正倉院に収められている天平宝字3年(759)11月14日のこの周辺の地図(越中国砺波郡石粟村官施入田地図)には、当社と荊波神社との土地の分配についての記述がある。延喜式神名帳には礪波郡七座のうちの一社として記載されている。
社名の「雄神」は、延喜式神名帳でそのすぐ上に「比賣神社」が書かれていることから「比賣神」(姫神)に対する「雄神」であるとも、祭神が男神であるからともいう。ただし、現祭神の二神のオカミ神(おかみのかみ)は、社名からの附会であるとされる。
元々は庄川の近くに社地があったが、寛文3年(1663)、洪水により本殿と拝殿の間に庄川の新しい流路ができてしまった。そのため、宝永7年(1710)に本殿を高台の現在地に遷座し、残った拝殿に本殿と同じ神を勧請して元雄神神社とした。後に、雄神神社の摂社で、宇賀弁才天を祀る弁財天宇賀社を元雄神神社に合祀し、元雄神神社を弁才天社に改称した。弁才天社では33年に一度御開帳が行われ、多数の参拝者が訪れる。
中世、越中国の一向宗徒が福光城主の石黒氏を滅ぼし、その領地にあった高瀬神社が一向宗徒の支配下に入ったとき、高瀬神社の一部の神職が当社に転じている。現在でも両社は関係が深く、宮司は両社で兼任されている。
(神社名鑑、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
11号線から見える神社参道入口 |
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参道入口に建つ台輪鳥居 |
社号標 |
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社頭 |
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境内入口 |
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境内入口に建つ明神鳥居 |
鳥居に架かる額 |
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参道途中にいる大正5年生まれの狛犬
吽は玉を持ち、筋肉質で前脚の太い狛犬です。垂れ耳で穏やかな顔つき、鬣や尾の派手な、均整のとれた体つきの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで |
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(大正5年(1916)11月建立) |
境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿に架かる額
「延喜式内社
庄下郷総社 雄神神社」 |
拝殿内の様子 |
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本殿鞘堂 |
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境内社:秋葉社? |
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境内社を護る小さな石製狛犬 |
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境内社:天満宮? |
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境内社を護る素焼きの小さな狛犬
小さいながらもとても良くできた狛犬ですが、阿の右前脚がかけているのが残念です。
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