高岡市関本町(平成18年11月25日)
この神社は高岡駅の南西約600m、入口はJR城端線の西側、境内は東側、という社地の中を鉄道が走る…という珍しい神社です。列車の通る他はとても静かで落ち着いた神社で、社地は綺麗にされており、木々には冬の用意の雪釣りが施されていました。地域の方々の崇敬の念が感じられる神社でした。
由緒来歴によると
当社は射水神社の「次の宮」として越中文化発祥の地に相応しい歴史ある社なり。
創建年号は不詳なるも、約650年前、南北朝の頃、縁り高貴な方敬神の念篤く、西方より福神オオトノジ神を奉遷祀られた社で、五穀豊穣、氏子の幸と隆盛を祈念し今日に至る。
祀神は(古事記伝)意富斗能知尊、(日本書紀)大戸之辺尊の二柱にして、オオトノジ神は地を拓し民を治め、特に名刀練工師等の崇敬篤く、オオトノマエ神は子育て慈母の神として奉納せし小槌を借りて乳房をさすると、母乳の溢れ出る御利益あるという謂われも多い。
この二柱を祀る社は県内では当社のみであり、後世槌宮と奉称せり。戦後、近隣の村社合祀せり。
とあります。