惣社白山神社

高岡市二塚1339(平成21年5月3日)

東経137度00分22.68秒、北緯36度41分59.02秒に鎮座。

 この神社は林駅の東南東約450mに鎮座しています。玉垣で囲まれた鬱蒼とした森の中に、小さな入口が二ヶ所あり、どちらが惣社白山神社の入口か分からずに、夫と分散して入りましたが、結局左側の入口がこの社の参道入口でした。因みに右側の入口は「村社 日宮」です。境内は入口とはうって変わって明るく、彩色された寺院風の綺麗な社殿が背後の緑の中に映えていました。社殿には「白山大権現 毘沙門天王」の額が架かっています。

 御祭神:白山比淘蜷_、大山祇大神、八百万大神
 御縁起 由緒:謹みて案じ奉るに天正実録正一位惣社白山神社と称えまつる。伊勢皇太神宮を大本宮と仰ぎ本宮は加賀一の宮安久済の森に鎮座あり崇神天皇の御宇に創建された北陸鎮護の名神大社にして、その神霊此地に奉請してよりおおよそ一千有余年を経ぬる近郷の古社也。借昔神階は文徳実録仁寿元年十月従三位、三代実録貞観二年一月正三位を奉ぜられた。永治元年三月正一位の極意を得たりと源平盛衰記によって知られる。社後にあ在る庄川基標合口取入水(東部用排水)より下流三十三ヶ集落の鎮護の惣社としてその神徳広大無辺なるを覚ゆるもの也。
(境内案内より)

 御祭神:菊理媛大神・大己貴命 他八柱神
 特殊神事:火鎮祭・3月8日、用水々神祭・7月13日、例祭日・10月26日
 由緒:創祀年代不詳ながら、伝によれば景行帝の御代、建内宿禰が当地にて天神地祇の霊威を感得し、斎庭を定めた事を起源とする。仁明帝の御代、付近を流れる雄神川(庄川)の水源が加州白山であることから白山大神を勧請、以来白山社・白山宮・白山権現と称される。鎌倉期に越中守護・名越遠江守の祈願所となり、社殿造営され隆盛を誇るも、元弘3年(1333 )の争乱により殿宇は悉く焼失、烏有に帰した。その後暦応元年(1338)4月26日に再興が成り、今も同日を春季の祭日となす。江戸期には加賀藩主・前田利長や重教が鷹狩の際に参拝し、特に利長は白檮を植樹する等篤く崇敬した。民衆間においても五穀豊穣の霊験有りとして近郷六十数ヶ村の祈願を受ける名社であった。
 鎮座地の「二塚」は『太平記』にも記載があり、中世越後国の武士、岩本兼佐が当社境内に黄金の鶏・蚕(繭)を埋納した塚に由来するとも、建内宿禰の孫・平群大臣の墓に起因するとも伝えられる。
 境内には摂社・神明社の他、幕末の志士・川上三六の奉納による玉垣残欠等があり、付近には後醍醐帝の皇子・恒性王(大覚寺門跡宮)の御墓所や同王を祀る悪皇子宮(気多社)、守護・名越氏の居館址等遺跡が多い。
「白山社めぐり」より)

社頭
境内入口 社号標
「白山神系延喜式外
惣社白山神社」
境内の様子
拝殿前、大正9年生まれの狛犬
やや吊り目で、その割にはにこやかな狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正9年(1920)4月建立)
社殿 社殿に架かる額
「白山大権現
毘沙門天王」
社殿前から入口を振り返る