大木白山社

高岡市大工中町597(平成18年11月25日)        

東経137度0分48.35秒、北緯36度44分16.94秒に鎮座。

 この神社は高岡駅の西約450m、北陸本線の線路際に鎮座しています。地図には「白山神社」と記載されていました。線路間際の入口に建つ明神鳥居を潜ると、手入れの行き届いた木々が立ち並ぶ真っ直ぐな参道の奥に拝殿が見えます。その間二対の狛犬が居たり、沢山の鶏が放し飼いにされ駆け回っていたりと面白い経験をしました。
 下関地区の産土神社で、未だに鎮守の杜がしっかりと残された、如何にも由緒のありそうな神社でしたが、案内が無く創建その他は不明です。白山神社なので、御祭神は菊理姫命と思われます。春季例祭が毎年5月2日に行われていますが、現在では母衣武者を仕立て、神輿を先導する事は行われず、母衣武者装束一式を母衣宿に飾りつけ、神輿を迎えるのみとなってしまったそうです。

 その後戴いた、大木白山社権宮司・高尾宗清様頼の情報によりますと、これらの鶏は平成5年に白い雉2羽が奉納されたことを契機に、宮司・高尾宗嗣様(現権宮司 高尾宗清様のお父上)が鳥小屋を手作りで建てたことがはじまりで、その後、鶉の奉納、鶏の奉納などがあり、平成10年ごろから常時鶏を放し飼いにするようになったのだそうで、写真の雄鶏は現在8歳だそうです。(鶏の平均寿命は約10歳、長生きの者は15〜20年も生きられるそうですから、これからもこの境内内で自由に元気に過ごしていって貰いたいものですね。)

【狛犬情報・大木白山社権宮司・高尾宗清様より】     (平成20年9月14日追記)
  当社の創建は定かではありませんが、江戸時代、加賀の前田利長が城を築城計画し、高岡を開町した折には鎮座していたものと思われます。
 記録には、寛永のころ境内地増地寄進、享保元年御社殿改築、享和元年拝殿改築などの記録があり、400年以上は経っていると思われます。高岡城の載る江戸時代の古地図にもに当社は載っています。現在高岡市民に知られている関野神社・射水神社は記載されておらず、当社がより由緒ある神社だと思っております。
 古くは春季例大祭は5月16日がでしたが、現在は5月2日に斎行しております。祭に参加する人も減り、現在は各町内に保有する母衣武者装束が古くなったため、町内で飾り、神輿の巡幸のみになりました。市内の多くのお祭りでは、神輿を自動車に載せるなどしていますが、かつて12人ほどで交代で担いでいた神輿に昭和30年代に車を誂えて氏子総代等が引いて氏子地内を巡幸しています。

 御祭神:久々理媛大神【菊理媛命】、水波廼女大神【水神さま】、伊弉諾大神、伊弉冊大神(大木白山社公式サイトより)

大木白山社公式サイトはこちらで

社号標 神社入口
文政?年(1818〜1829)生まれの、縦長・のほほ〜ん系狛犬。
顔は殆ど長方形で線書きの様な四角い目と、人間の鼻のような形の低めの鼻、
二重に描かれた線書きの口蓋、縄を綯ったような眉毛全ての造作が面白いですね。
前脚も竹の節のような関節で爪は単に三角形で表しています。
文政年中でもこんなに素朴な狛犬が造られていたのですね。とっても可愛いで〜す。
(文政?年(1818〜1829)建立)
大正7年生まれの太めにこやか狛犬。
身体に比して小顔で、目が釣り上がっては居ますが笑っています。
顎髭は渦を巻き鬣も尾も渦と流も組み合わせが綺麗な曲線を造り流れています。
低めの鼻がご愛敬。
(大正7年12月建立)
拝殿 拝殿内の様子
木の間に本殿の屋根がちらりと見えます。 境内社:祖霊社
当社に関わりある方々の御霊を祀り、
昭和39年北陸本線複線電化の際、
お社を90度移動した時の元の本殿の
場所に建立されています。
境内社の小さな陶器製狛犬。双方吽です。
境内に放し飼いになっている鶏 市保存樹木指定・ご神木の大欅