物部神社

高岡市東海老坂1068(平成21年5月4日)

東経137度0分4.82秒、北緯36度46分58.15秒に鎮座。

 この神社は高岡から氷見へ向かう160号線沿い、二上工業高校と県立高岡養護学校の中間辺りに鎮座しています。160号線沿いに建つ社号標を右に見て進むと突き当たりに台輪鳥居が建ち、途中に両部鳥居が建つ坂道の参道を150m程登ると、境内入口が見えてきます。境内には拝殿と、その後少し高い位置に本殿があリますが、本殿は覆屋の中で、見ることができません。

 御祭神:宇麻志摩遲命、合祀:應神天皇
 由緒:旧村社で、物部氏の祖を祀る式内社です。創建年代は不詳ですが、昔は物部八幡、海老坂八幡と呼ばれ、八幡宮を併祀しています。
 慶長4年(1599)に大坂で亡くなった前田利家公の霊を祀るため、この社に併祀されていた八幡神が前田家二代藩主・利長公によって金沢城の鬼門の方角(東北)にあたる卯辰山麓に、卯辰八幡宮(現在の宇多須神社・東山1丁目)の御祭神として勧請され、利家公も御祭神の一柱となり、加賀藩を守護する存在となりました。その後、卯辰八幡宮は明治期に金沢城の出丸金谷御殿跡地に遷座され、尾山神社と改称されたのです。

物部神社
鎮座地 高岡市東海老坂字川田一〇六八番地
祭神  宇麻志摩遅命、応神天皇
春祭  四月十八日 祈年祭 二月十七日
秋祭  九月十日  新嘗祭 十一月十七日
宮司  宮崎寛之
境内地 五二六坪
氏子数 六〇戸

由緒沿革 延喜式内社。
物部氏の祖、宇麻志摩遅命を祀る。物部氏の一族は、大彦命が北陸を巡撫された際従って来たが、命が帰京された後も留って鎮護の任にあたった。天平年間に大伴家持郷が国司として赴任した時、随行して来た物部氏族たちが、この地に我等の氏神が祀られてあるとして喜び崇敬した。
天正十三年(西暦一五八五)九月、前田利長が加州松任城から守山城に移り、この頃より当社が武神を祀ってあるとして崇敬し、武運長久などを祈願した。慶長四年(西暦一五九九)利長が金沢城へ移るに際し、当社の御分霊を金沢城の鬼門である卯辰山に守護神として勧請した。
その後も歴代藩王の祈願所として、本、拝殿などの建築、修繕は藩費で賄われていた。拝殿向拝に菊桐紋、周囲に梅鉢の紋が彫刻されているのは、それ故である。
物部八幡、海老坂八幡とも呼ばれ、この地方の惣社であった。
現在は、高岡-氷見間の国道一六〇号線の沿線に鎮座するが、往古は現在地の奥、氷見市との境の山上に鎮座し、氷見庄百ヶ村で奉仕したと伝えられる。現在の社標、鳥居などは、国道の拡幅に伴い、後退して建て直された。(旧社格 指定村社)
富山縣神社誌より

社号標
「延喜式内 
物部神社」
社頭
参道入口の台輪鳥居
参道の様子
参道途中に建つ両部鳥居
境内入口
境内の様子
拝殿前、建立年代不明の加賀狛犬
阿吽の位置が反対で、阿は口中に玉を含んでいます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿の木鼻・狛犬
本殿