射水神社

高岡市古城1-1(平成18年11月25日)

 この神社は高岡古城公園内に鎮座しています。高岡古城公園は今まさに紅葉の真っ盛りで、散策を楽しむ方や、子連れで遊びに来ている市民の方が沢山いらっしゃいました。
 由緒書きによると
 御祭神:瓊瓊杵尊
 創建:創始は太古のことで、年代は詳かではないが、延喜式内名神大社であり、越中文化発祥にゆかり深い大守護神として崇敬せられている。
 伝によれば、養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建て、この神を祀り、二上権現と称した。当時の領域は、二上荘六十七カ村、社寺は二上全山に亘り二十二万余坪に達したといわれ、越中全土の各戸より毎年初穂米一升奉納の制があり、盛大を極めた。
 その後、承平(931〜938)、天正(1573〜1592)の二度にわたる兵火により悉く烏有に帰し、一時衰頽したが、慶長年間、前田利家卿社殿再建の上、社領および一山を付し、国内に命じて初穂米奉納の制を復活し、明治維新まで続いた。明治4年、国幣中社に列格し、同8年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、同33年6月、高岡大火の折類焼、同35年復興。
とあります。
 この社の現在の御祭神は瓊瓊杵尊ですが、創建時には、現在も二上山麓の二上射水神社に祀られている伊弥頭(いみづ)国造の祖神とされる「二上神」でした。明治8年に高岡城本丸跡の現在地に遷座されたのですが、これは、射水神社が長らく社僧の強い影響下にあり仏教色が強いものであったためとされています。けれど、二上の氏子からは猛反対が起こり、二上山麓の旧社地には分社として二上射水神社が残されました。そして、戦後二上射水神社は独立の神社となり、正式名称を「越中総社射水神社」とし、それに対して現在の射水神社は「越中総鎮守射水神社」と称しています。また、以前は二上の射水神社の摂社であった日吉社(二上山第一峯山頂)、悪王子社(二上山第二峯山頂)、院内社(二上山前面北の峯山頂)、諏訪社(二上山前面西麓)が現在はこの社の摂社となっています。

社号標「国幣中社 射水神社」 境内入口
拝殿 本殿の屋根
高岡古城公園からの参道の様子
隣接する高岡古城公園。紅葉が見事で、多くの市民が紅葉狩りに来ていました。