二上射水(ふたがみいみず)神社

高岡市二上1519 (平成21年8月17日)

東経137度1分15.18秒、北緯36度46分25.39秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この社は富山大高岡キャンパスの北西約500m、二上山南麓に鎮座しています。

御祭神:二上大神
祭礼日:4月23日・例祭
由緒:式内名神大社、越中国一宮で明治時代に遷座した射水神社の元の鎮座地である。二上山を神体山とし、二上大神を祀る。旧社格は村社。
境内には、二上山養老寺のひとつである高野山真言宗の寺院、慈尊院も併設されている。
創建は奈良時代以前のこととされる。社伝によれば、当神社は二上山を神奈備とし、太古よりその麓に鎮座していたが、養老元年(717)に行基が勅を受けて二上山麓に別当寺を建立し、二上神を二上権現と称して祀ったのだと言う。別当寺は山号を「二上山」、寺号を「養老寺」と言い、二上山全体を境内として社地殿閣広大であったと伝えられている。
承平年間の兵火により、社殿が焼失し、文明7年(1475年)に越中国の棟別銭によって社殿が造営されたと言う。
戦国時代末期の天正年間にも社殿が焼失するが、江戸時代に入り加賀藩の祈祷所となって復興した。慶長15年(1610年)加賀藩初代藩主前田利長により御供田が寄進され、同時に越中4郡から知識米(初穂米)軒別1升2合の徴収が許された。
明治8年、射水神社は高岡市中心部の高岡城本丸跡に遷座した。これは、射水神社が長らく社僧の強い影響下にあり仏教色が強いものであったためである。しかし、二上村の氏子からの反対があったため、二上山麓の旧社地には射水神社の分社として二上射水神社が残された。
第二次大戦後、二上射水神社は射水神社から独立し、正式名称を「越中総社射水神社」とした。

県指定無形民俗文化財・越中総社射水神社(二上射水神社)の築山行事
4月23日の例祭では、特殊神事「築山行事」が行われる。築山行事は富山県指定無形民俗文化財となっている。
境内の三本杉の前に「築山」と呼ばれる3つの祭壇が築かれる。それぞれ、日吉社(摂社)、二上大神、院内社(摂社)の三神を祀るものである。例祭の儀式の後に院内社、二上大神、日吉社の順で3基の神輿が巡行するが、途中で院内社の神輿だけが鳥居の外に出た後、二上大神と日吉社の間に割って入る。これを「院内わりこみ」というが、その意味は伝わっていない。この行事は一年の豊作を祈る古代信仰の形態である。なお、築山行事の神事が終わると二上山の悪い神様が暴れると伝わるため、築山は大急ぎで解体される。
高岡御車山祭の御車山は、この「築山行事」を移動できるように発展させたものであるとも考えられている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭

社号標
「越中総社射水神社」
入口に立つ両部鳥居
御神馬像 手水舎

参道の様子

参道横の御神木・三本杉 天乃真名井

境内入口

境内入口にいる猫顔の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治43年(1910)9月建立)

拝殿

本殿鞘堂

御神像庫 二上資料館と築山収蔵庫