入善神社

下新川郡入善町入膳3601 (平成26年9月21日)

東経137度30分20.79秒、北緯36度56分04.40秒に鎮座。

この神社は、あいの風とやま鉄道線・入善駅の南南東600m程の辺り、入善の街中に鎮座しております。

御祭神 誉田別命

由緒沿革
誉田別命の勧請の年月は詳らかでない。入善の歴史を遡ると、四道将軍を各方面に派遣したころは、すでに入善郷と言っていたと伝えられるので、当社の創立も非常に古いものと推察できる。治承年間(1177〜1180)に、そして古くから入善神社と称し、山王という所に社殿があったという。
後白河天皇の第4皇子北陸宮が北陸に下って来られたとき、木曾義仲がこの宮の為に武運長久を祈ったと伝えられている。社地は約300坪余りあり大樹が繁茂し誉田別命(15代応神天皇)を祀り、八幡宮と称していたという記録がある。これは入善神社を八幡社と誤称していた証しとなろう。
天正(1573〜1591)のころに上杉謙信が越中を攻めたとき、附近の社寺同様、兵火のため焼失し、やがて小祠を建てたが、いつのころから、これを白山社と称えたり、山王社と称えたり、様々の称え方をしていた。
この社地は境内としては不備であり、参拝にも不便であったので、宝暦元年(1751)に北町の地に社地を求め遷座した。明治6年(1873)第2大区郷社に列せられ、明治24年(1891)10月21日氏子の請願により入善神社と昔の名に復した。昭和56年(1981)、長年にわたる氏子の念願により社殿の新築が完成された。
境内由緒書き より。

参道入口

神額

参道

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

神額

本殿


表忠碑 英霊の碑