日置神社

中新川郡立山町日中 (平成21年8月19日)

東経137度21分23.40秒、北緯36度40分22.80秒に鎮座。

この神社は157号線と白岩川の間に鎮座しています。

御祭神 天押日命(佐伯氏の祖先神である)

社伝によれば、54代仁明天皇承和年中(834〜847)越中國新川郡延喜式内七社の内、日置神社と稱し奉る。官幣あり。続日本後紀によれば、承和12年(845)9月1日従五位下を授かる
96代清和天皇貞観9年(867)2月27日従四位上を授けられていた。大社なれども縁起神宝等越中國兵乱の時焼失した。
皇朝百代通略によれば、新川郡弓庄郷日中村にあり。51代平城天皇大同2年(807)佐伯越中守これを建つ。
(若杉社家二宮伊賀貞享2年(1685)上記)
日本後記延暦5年(786)正月従五位下佐伯宿祢鷹主越中介となる。この人の族ならむとある。
神社の神宮寺で往昔社人社僧多く社地三万坪、境内に勅使塚等あり、又月見池、蓮池等も有たれど中頃より狭くなった。勅使塚等は今なお残り、勅使下向の旧跡なりと伝えている。(目廻り一丈余の大榊ありしも幕末に枯損した)宮司 二宮正篤
境内由緒書き より

式内 越中国新川郡・日置神社の論社となっており、江戸時代には立山町利田の日置神社と論争が繰り広げられたようですが、その後和解が成立し、現在は両社とも日置神社の社名が付けられています。
御祭神は天押日命で、創立年代は大同2年(807)、越中国守佐伯有若による創立とされています。
『続日本後紀』承和12年9月乙巳朔条(845)に新川郡無位日置神従五位下一。
『日本三代実録』貞観2年5月29日戊寅条(860)に従五位上日置神授二正五位上一。
『日本三代実録』貞観9年2月27日丁酉条(867)に従四位下日置神従四位上。
の記録があります。(「神道・神社資料集成」より)

神社入口

神額

境内入口にいる狛犬。
丸尾タイプの狛犬ですが、口の端が大きく耳元まで持ち上がっているのが特徴的です。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

本殿覆屋


末社