八心大市比古(やごころおおいちひこ)神社

黒部市三日市1036-1 (平成21年8月19日、平成26年9月21日再訪)

東経137度26分45.95秒、北緯36度52分09.22秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この社は電鉄黒部駅の南約200mに鎮座しています。

御祭神:大山祇神、少彦名神、軻遇突智神、合祀神:天照皇大神
由来
この神社は、延長5年(927)の延喜式神明帳に記載されている式内社である。
祭神は、大山祇神・少彦名神・迦具土神で昔から五穀豊穣の守護神として、町民はもとより近郷の人たちに「三島明神」といわれ、崇敬されてきた。
神社には、慶長元年(1596)獅子頭を奉持して家々を回り、家内安全・無病息災を祈った「御獅子頭御入之家」の古文書や寛文4年(1664)に寄進された鰐口、元禄2年(1698)作の鶏之図絵馬など社宝として保存されている。
市指定の天然記念物「桜井の化藤」「三島の大ケヤキ」が神社の飛び地にある。
明治6年県社に列せられた。
昭和17年社殿が木曽のヒノキ材で造られた。
市指定絵画・元禄二年銘鶏之図絵馬は元禄2年(1689)4月に奉納された絵馬で「鶏」の絵馬では県内最古のものである。威厳さをもつ雄鶏と、和やかさをもつ雌鶏のつがい絵で、表に「奉掛御神前望叶成就所 敬白」「元禄貳巳歴卯月吉日 三日市銭屋利太郎」、裏に「三島大明神宮守左内御印 橘式部卿陰陽師左門」と墨書されている。
古来、八心大市比古神社の氏子は、鶏を神の使いとして大切にし、神聖視して今日に至っている。
「境内由緒書き」 より

明治時代までは「三島大明神」と呼ばれており、明治時代に現社名となったが、現在でも三島神社と呼ばれている。創建については諸説あり、孝謙天皇の御代に勧請されたとも、東方の嘉例沢村(現黒部市嘉例沢)の山頂から御幣が飛んできて三日市に留まり、それを土地の人々が祀ったところ、3体の神像が出現したので「三島大明神」と称して信仰したとも伝わる。延喜式神名帳では小社に列格している。
「三島大明神」という名の由来については、鎌倉時代に佐野源左衛門が伊豆の三嶋神社を崇敬し、三嶋神社の桜の枝を取り寄せて当社境内の木に接木したことによるという伝承もある。当社の神紋は「桜井桜」と呼ばれる桜の紋である。
元は現在地より北、約500mの地に鎮座していたが、天正8年(1580年)に現在地に遷座した。明治6年(1873年)に県社に列格し、大正14年(1925年)6月24日、三日市周辺にある神社を合祀した。昭和17年(1942年)、木曽帝室御料材払下げの檜を使用した現在の社殿が完成した。
(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」より)

道路を挟んで南側、一の鳥居の所に狛犬有との情報を得て再訪しました。後に追加してあります。

一の鳥居と神額
参道入口にいる岡崎型狛犬

社頭

手水舎
境内入口にいる招魂社系狛犬

境内入口

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

本殿正面


駐車場脇の一の鳥居

参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

御神木


「三島の大ケヤキ」。「桜井の化藤」は左側に絡んでいるようです。