射水市本町3-10(平成18年11月25日)
この神社は万葉線を挟んだ南に三日曽根という町名があるにも係わらず、本町3丁目に鎮座しているので不思議に思っていましたが、昭和42年に三日曽根と放生津新町の一部が合併して本町3丁目が誕生したという経緯があり、その時三日曽根の北端に鎮座していたこの神社は本町3丁目町内に組み入れられたのでしょう。こういう場合、氏子さんの区域はどう変わったのでしょう? 現在残っている三日曽根町内には地図上では神社が見あたりませんから、今ではここの氏子さんなのでしょうか? 私の住む地域では幸いにして町名変更が行われたことがないので、この辺の事情は理解しがたいことが多いです。又、ここの社地には北の入口には「村社 神明社」、南の入口には「村社 三日曽根神社」の社号標が建っており、社殿も二社並列して建てられています。2町合併時に境界線上に鎮座していた両神社が、その後同じ町内に鎮座することになったため、垣根が取り払われたのでしょうか?
案内が無く、又社名も地域名ですので創建由緒御祭神ともに不明ですが、この後参拝した四日曽根諏訪神社でお聞きしたところ、江戸時代初期に四日曽根が分村した時に、四日曽根神社は三日曽根神社から分霊勧請したという事ですので、こちらも諏訪神社系なのかも知れません。
神社入口 社号標「村社 三日曽根神社」 |
境内の周囲には石垣が組まれ 沢山の灯籠が奉納されていました。 |
拝殿 | 本殿 |
弘化4年(1847)生まれtの耳垂れ尾付き狛犬。 ギョロ目で短い顎髭とこれまた短めの鬣です。 尾は広くペタッと殆ど背中に付いています。 胸の辺りは肉付きがありますが、胴体や下半身はやせ気味です。 |
|
(弘化4年(1847)正月吉日建立) | |
![]() |