草岡神社

射水市堀岡古明神371(平成21年8月18日)

東経137度7分58.45秒、北緯36度45分58.76秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は富山新港に突き出た洲の中に鎮座し、直ぐ南には火力発電所などがあります。

 御祭神:大巳貴命、玉依姫命、事代主神
 祭礼日:1月1日・元始際、3月21日・鎮火祭・交通安全祈願祭、4月20日・恵比寿祭、5月4日・春季大祭・獅子舞奉納・御輿巡行、11月3日・秋季例祭・獅子舞奉納・七五三
 境内社:恵比須社(境外末社)
 由緒:御鎮座の年代は定かでないが、社伝には景行天皇40年(110)、日本武尊の東征の際、守護社として勧請されたと伝えられています。
 平安時代には清和天皇貞観9年(867)に正四位の位を授かると共に、寛治6年(1092)堀河天皇の勅願により玉依姫命を祀る下賀茂社 (京都)に寄進され社領として下村加茂神社が中心とする倉垣庄内に22の末社が勧請され氏神として合祀され祭政一致が行われた。正史には承応2年(1653)の奥書「越中国式内等旧社記」に射水郡13座の一として草岡神社が「延喜式」神名帳に記されています。
 室町・戦国時代に入ると地方庄園が崩壊し神保長職(1547)の支配下に置かれた。 江戸期に入り郷村制が確立し、古明神村加茂社は”加茂社”とも”草岡神社”とも称された。「文政元年(1818) 古明神村の村鑑帳」には、「家数52軒 三社 草岡・加茂・恵比須」とあり神社1カ所に草岡社と並んで二つの社が併置されています。境外末社の恵比須社の祭神、事代主神も大正12年に合祀されました。
 明治5年に郷社と格付けされ延喜式内社に列せられています。
 江戸時代末期の天保11年(1840)現在地に遷り、何度かの立替の後、昭和15年正月大雪に見舞われ遂につぶれたため、同年9月3日にその時代のはやりとして神明造として再建された。その後、大改修は昭和48年、平成6年に行っている。草岡神社の祭神は「大巳貴命」、「玉依姫命」、「事代主神」の3神が合祀されています。草岡神社は幾たびかの風水害で社地・社伝・旧記を亡失していますが、今も由緒ある神社として、信仰が厚い。
(「草岡神社公式サイト」より)

 因みに式内社 越中國射水郡 草岡神社の論社は下記の三社です。
   草岡神社・射水市堀岡古明神372
   加茂社・射水市戸破3943
   高階社・氷見市一勿2075

表参道入口 台輪鳥居 社号標
「郷社 延喜式内
 草岡神社」
入口にいる昭和44年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和44年(1969)5月建立)
手水舎
参道・境内の様子
参道途中にいる浪速狛犬
吽には小さな突起があり、浪速の典型のような狛犬です。草鞋の鼻緒のような臑毛が特徴です。江戸時代に北前船で運ばれてきた物なのでしょうか?
拝殿
本殿鞘堂
北参道入口付近から境内を振り返る
御神馬像 磐座?
北参道入口に立つ台輪鳥居