荒屋神社

射水市八幡町3(平成18年11月25日)

 この神社は県道350号線・公園前信号を南下すると、すぐ左手に鎮座しています。
 案内が無く、この神社の創建、由緒、御祭神は不明ですが、境内の曳山蔵内の八幡町曳山は明和7年(1770)の建造、前人形(からくり)は「唐子の三童子」で、建造は明和7年(1670)ですから、少なくとも明和7年以前の創建といえるでしょう。
 又境内の外には市観光協会の案内板がたち、「史跡 越中御所跡」「史跡 放生津御蔵跡」と書かれていました。
 「越中御所跡」は諸国流転の経歴から「島公方、流れ公方」ともいわれた室町幕府第10代将軍、また改名して第12代将軍となった足利義材(義稙)(あしかが よしき(よしたね)が、一時期、畠山政長の家臣・神保長誠の手引きで幽閉先から脱出し、この地に居を構え「越中公方」と呼ばれていた、その御所の跡があるのだそうです。
 「放生津御蔵跡」は寛文3年(1657)に加賀藩の御蔵や御蔵番屋敷がこの地に建てられた、その跡だそうです。

神社入口 拝殿
皇紀2600年という日本の歴史の中で一つの節目に生まれた横広大顔狛犬です。
岡崎現代型と浪花の特徴を併せ持ち、ドスの利いた目つきと、阿の舌、吽の4本の牙が目立ちます。
(皇紀2600年(昭和15年)建立)
本殿覆い屋