宗形神社

米子市宗像298(平成21年7月29日)

東経133度21分30.62秒、北緯35度24分31.46秒に鎮座。

 この神社は国道9号線(米子バイパス)・米子南インターから181号線で600m程南に向かうと右手に鎮座しています。
 境内入口には駐車スペースがあり、社号標を左に見て石段の参道を上がると、一の鳥居が建っています。二の鳥居には茅の輪が付けられ、すぐ後ろの随神門には綺麗な彩色の残る神門狛犬さんが居ました。尚も参道を進むと、右側には陽光に透けて見えるような薄黄緑の葉が幾重にも重なった、素敵なモミジの木々が、見事な枝ぶりを見せ、「モミジの名所」の名に恥じない景観を見せています。
 境内中央奥には千鳥破風・唐破風付きの豪華で大きな拝殿が建ち、左本右末で右綯いの非常に珍しい組み合わせの注連縄が架かっています。又、大社造檜皮葺の本殿は、周囲の鎮守の杜と見事にマッチした風雅な佇まいを見せています。

 御祭神:田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、相殿:経津主命、武甕槌命、日本武命、上筒男命、中筒男命、底筒男命、譽田別命、伊弉諾命、伊弉册命、大日靈命、素盞嗚命、大國主命、合祀:倉稲魂命、天児屋根命、天太玉命、猿田彦命、鈿女命、阿蘇彦命、 阿蘇姫命、保食命、月読命
 祭礼日:例大祭・5月3日、例祭・11月3日、歳旦祭・1月1日、大祓祭・7月31日、新嘗祭・11月23日
 由緒:創建年代は不詳であるが、往古宗像氏族が、祖先神である宗像三女神を奉じて九州からこの地に来着し、これを斉祀したのが起源と伝えられている。
 平安初期の斉衡3年(856)に宗形の神に神階五位上が増叙された旨、文徳実録(日本六国史の一)に所載されている。
 醍醐天皇の延長5年(927)に勅撰された延喜式神祇の巻に、伯耆国六社(会見郡では胸形神社と大神山神社)の一として、国幣小社に列格されている。
 戦国時代には武将の崇敬篤く、尼子晴久は、弘治2年(1556)に、宮ノ谷の山頂に鎮座していた社を現在地に遷して新しく社殿を建立し、社領三百石を寄進した。吉川元春(毛利元就の二男)は、更に社領120石を加増寄進すると共に、太刀及び兜(典型的桃形の逸品で社宝として所蔵)を奉納した。中村伯耆守は、社殿修造用材100本を寄進した。
 藩政の世には、歴代の因伯藩主の崇敬篤く、当社を蕃の祈願所に指定し、制礼の建立や池田家々紋を幕・提灯に使用方を裁許し、池田慶徳は自ら社参祈願を行った。
 社名は、宗形(文徳実録)、胸形(延喜式)、宗像(明治初年まで)、宗形(明治4年以降)と変遷を重ねて現在に至る。

 神社と古墳
神社を中心として周辺に密集分布する宗像古墳は、県下有数の古墳群であるが、これは当地方が、古くから神社との関り合いの中で生成発展して来たことを物語るものであり、往古の社会・文化探求上で重要遺跡として斯界の注目を集めている。
(「境内説明板」より)

「境内説明板」拡大写真はこちらで

社頭
入口の一の明神鳥居 社号標
参道の様子
参道脇にいる先代狛犬
参道左側に設えられている「御幸場」 参道途中に建つ二の明神鳥居と茅の輪
随神門
随神さんのお膝元で侵入者を見張っている神門狛犬
阿はコバルトブルーの体に朱の鬣、吽は浅黄色の体で朱の鬣が、綺麗に彩色されています。阿吽共に金色の目で、お腹の下は白色です。
参道の様子
この社はモミジの名所だそうですが、参道右側には陽光に透けて見えるような薄黄緑の葉が幾重にも重なった、素敵なモミジの木々が、見事な枝ぶりを見せていました。
境内入口
境内入口に居る平成20年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(平成20年(2008)7月吉日建立)
千鳥破風・唐破風付きの豪華で大きな拝殿
向拝下彫刻・龍と太く大きな注連縄
左本右末で右綯いの、非常に珍しい組み合わせの注連縄です。
拝殿木鼻・狛犬と象
檜皮葺の本殿
境内社 社殿
御神輿殿と煌びやかな神輿