米子市加茂町2(平成17年11月23日)
この神社は米子駅の西北西約700m、国道9号線加茂町2丁目交差点から北へ約50mに鎮座しています。
由緒によると、創建は不詳ですが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれており、その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ八十八歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」という地名が誕生したと一説に言い伝えられる。また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。
境内にある井戸は、米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。現在は、「祓え神事」として宮水の名を伝えている。
往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和三十六年稲荷神社、天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社天満宮」と改称した、とあります。
また、米子唯一の天神様として合祀後もその名を残された天満宮は、古より天神町に鎮座し、庶民の崇敬を受けるが由緒は不詳。「7月25日の例祭には神輿町中残らず巡幸し、夜は海上神事あり。浪花天満の納涼をうつして其のさま筆に尽しがたし。」と米府神社由来記に記載され、米子では盛大な夏祭りとしての言い伝えがあります。明治元年、北野神社と改称し、大正4年稲荷神社に合祀されました。そして昭和36年賀茂神社に稲荷神社が合祀されるさいに、天満宮の名は残され、現在の賀茂神社・天満宮となったのです。
主祭神は京都上賀茂神社より勧請された別雷命、京都北野天満宮より勧請された菅原道真命、配祭神は稲荷神社の倉稲魂命、萬能神社及び米原神社の須佐之男命、大已貴命、少彦那命、恵比須宮の事代主命、湊山八幡宮の誉田和気命、榎大神宮の天照皇大神などです。
社号標 | |
境内の様子 | 拝殿 |
本殿 | 米子三名水の一つ「宮水」の井 |
日本海側では珍しいのでは?広島玉獅子。 | ||