那岐神社

八頭郡智頭町大背708 (平成26年7月19日)

東経134度11分49.35秒、北緯35度12分37.62秒に鎮座。

この神社は、JR因美線・那岐駅の西1.5km程の辺り、大背の街外れに鎮座しております。

御祭神伊邪那岐神・伊邪那美神・国常立神・豊雲野神・宇比地迩神・須比地迩神・角代神・活代神・意富斗能地神・大斗万弁神・吸母陀琉神・阿夜詞志古泥神・天之御中主神・須佐之男命・進雄命・大山砥神・保食神・宇賀魂神

由緒
往古、那岐山麓一帯は毎年悪天候が続いた為、農作物は実らず住民は皆苦しんだ。その為、美作国勝北郡の村人と因幡国智頭郡の村人は相談をして、那岐山の山頂にお祭りされていた伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神を因幡と美作に分けて遷してお祭りする事となった。因幡側では宇塚地内でお祭りしたところ、霊験著しく、その後天候も静まり豊作となったので住民は大変喜んで崇敬したのが始まりと言われている。
天徳年間(957年〜960年)に現在地の後方の山上に御遷座したが、いつの頃か山上より現在の場所に御遷座された。
文禄二年(1593年)の洪水で神社及び神主宅が流されて多数の記録・書類が流失したと言う。現在の神社の本殿は寛文七年(1667年)に再建したものと言われる。
那岐神社は明治以前、那岐大明神といわれ那岐地区はもとより智頭町の各部落千数百戸の崇敬が厚く例祭日(以前は旧暦9月9日)には遠近より多数の参拝者がお参りした。又、智頭郡(智頭・用瀬・佐治)の郡奉行が取り締まる祭りとして郡奉行が参拝されるのが恒例であった。神社前の橋と鳥居の間の参道は馬場といって例祭日には必ず馬術を奉納したという。その参道の両側は鳥取藩主より献ぜられた神領で、その収穫は春祭りの費用として充てられたという。旧郷社・神饌幣帛料供進神社。
由緒書き より。

《神社に関するいいつたえ》
◇那岐神社前方にある五月田部落に神楽尾という所があり、ここは昔より那岐山に向かって神楽を奏上した神地といわれている。
◇五月田部落上の端に下馬所といわれる所がある。その由縁は言い伝えによれば昔、武士が馬に乗って通りかかったところ、ちょうど神社に相向かう所とになり、その場所でどうしても馬が進まなくなって困り、馬より降りたところ、馬が前に進みだしたのでその後は必ず神社の前は下馬して通行したと言われている。

参道入口と一の鳥居

神額

二の鳥居

土師川に架かる神橋

境内入口

拝殿前左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(嘉永6年(1853)癸丑建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


北野神社 稲荷神社

奉安殿