吉瀧神社

鳥取市青谷町楠根573(平成21年7月28日)

東経133度58分19.71秒、北緯35度27分26.53秒に鎮座。

 この神社は青谷駅から51号線を南下した楠根地域に鎮座しています。
 社号標と鳥居の建つ入口から、豊かな鎮守の杜の中の石段を上がっていくと横広の随神門が建立されています。今まで割拝殿は結構見てきましたが、こんなに横に広がった随神門は初めてです。他に何か利用の仕方があるのかもしれません。
 随神門から境内まではまたまた石段が続き、境内下にいる出雲丹後狛犬を観察してからはすぐに境内で、斜面に造られた余り広くない境内には大きな拝殿と本殿、境内社が一社祀られていました。
 急勾配の石段は上がるのが大変ですが、豊かな森の中の神社はとても気持ちが清々しくなる静かで落ち着いた雰囲気があり、気持ちの良い参拝が出来ました。

 この社に案内は無く、御祭神は天津麻良ですが、勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。

 天津麻羅は、日本神話に登場する鍛冶の神である。古事記にのみ登場し、日本書紀には登場せず、「神」「命」などの神号はつけられていません。
 古事記では岩戸隠れの段に登場する。「鍛人(かぬち)天津麻羅を求きて」とあるだけで、何をしたのかは書かれておらず、その前に「天の金山の鉄(はがね)を取りて」とあることから、伊斯許理度売命(いしこりどめ)が鏡を作るための製鉄を行ったとも考えられます。また、日本書紀の本文には、天鈿女命が茅纏の矛を手にしたという記述があり、それを作った者の記述がないことから、天津麻羅は矛を作ったとも考えられます(第一の一書では石凝姥命が日矛を作ったとある)。
 先代旧事本紀の天孫降臨の段では、「倭の鍛師等の祖、天津真浦」「物部造等の祖、天津麻良、阿刀造等の祖、天麻良」とあり、これらは天津麻羅と同神と考えられます。また、神号がついていないことなどから、天津麻羅は一神の名ではなく鍛冶集団(またはその祖神)の総称ではないかとする説もあります。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
明神鳥居 社号標
石段の参道
随神門
境内への石段参道
境内下にいる文化2年生まれの出雲丹後狛犬
松江の石工さんの造られた狛犬ですが、気品のある顔立ちで、非常に丁寧な彫りをしています。保存状態も極めて良好です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(松江石工・善兵衛 文化2年(1805)9月建立)
拝殿
本殿
境内社 境内から鎮守の杜を眺める。