宇部神社

鳥取市国府町宮下651(平成21年8月1日)

東経134度16分21.82秒、北緯35度28分37.37秒に鎮座。

 この神社は鳥取市街地から南東に当たり、附近には鳥取藩主・池田家の墓所や因幡国庁跡などが点在する平地と山間地の境界に鎮座しています。
 社号標の建つ入口から広い石畳の参道が真っ直ぐに伸び、大鳥居を潜り大きな社叢が見える突き当たりが、神社の入口となります。神社入口右側には社号標、左側には真っ白な睡蓮の花が咲く「亀金池」があり、社地入口の石段脇には未だ新しい狛犬が奉納されています。社地入口の石段を上がると参道はすぐに左に曲がり、森の中を境内へと結構な長さの石段の参道が続いています。
 境内にはいるとすぐ左手に稲葉山中腹から引かれた延命長寿の水「七宝水」と呼ばれる手水が有り、他にも美人になるなど七つの効能がある霊験あらたかな御神水だそうです。中央左右には右近の橘、左近の桜が植えられ、その奥の石段上に拝殿、垣内に檜皮葺きの本殿が建立されています。又、本殿背後の丘の上には、祭神・武内宿禰命終焉之地と言われる亀金岡があり、「双履石」が祀られています。
 この後、案内のある境内社・国府神社を写真撮影しようとしていた夫は、神主さん達の朝のお勤め・ご祈祷を拝見するために拝殿に戻り、国府神社の撮影を忘れるという大失敗をしてしまいました。他の方の写真を見ると、この境内社には古そうな狛犬がおり残念至極…。
 綺麗に掃き清められ整備された神域は明るく清々しく、親しみやすい雰囲気を持つ素敵な神社でした。

 御祭神:武内宿禰命
 祭礼日:例祭・4月21日、秋祭・9月21日、月次祭・1月を除く毎月1日
 境内社:国府神社
 由緒:当社は、孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられ、延喜式では県下唯一の名神大社、また一の宮として崇敬篤く、明治4年には国弊中社に列せられました。現在の社殿は、明治31年に完成しましたが、翌32年には全国の神社で最初に、命の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となりました。おかねに御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣が絶えません。
 武内宿禰命は第十二代景行帝より、成務・仲哀・応神・仁徳帝の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、総理大臣の祖ともいえる国の功神です。
 又、命はまた進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられました。特に仲哀天皇・神功皇后を補佐して北九州に出陣されご活躍になったことは有名で、ご幼少の応神天皇(八幡さま)を抱き奉る姿は5月端午の節句に掲げる幟(のぼり)の絵柄となっております。
 毎年4月21日の例祭には、全国屈指の大神輿による「神幸祭(みゆきさい)」がおこなわれます。このとき鎧を着け、青竹を持った武者行列や、鳥取藩参勤交代の姿を伝える奴の舞が行進します。
 また古くから伝わる無形文化財「麒麟獅子舞)」が奉納されます。この獅子は全国でも鳥取地方のみに見られる一本角が特徴の荘重で厳粛な舞として、今脚光を浴びています。
「宇部神社公式サイト」より)

参道入口 社号標
「國弊中社宇部神社」
参道途中の大鳥居
社地入口左にある「亀金池」碑 社地入口右に建つ社号標
「國弊中社宇部神社」
「亀金池」と池に咲く睡蓮の花
社地入口石段両脇に控える昭和63年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和63年(1988)11月建立)
社地入口の石段
参道の様子
境内入口
境内の様子
手水舎「七宝水」
右近の橘 左近の桜
拝殿
拝殿内の様子
拝殿内に鎮座する神殿狛犬
この色合い・模様の狛犬は過去に東京、山梨、岐阜でそれぞれ一対ずつ見てきましたが、この様に角つきで精悍な感じの物は初めてです。供え物で見えない阿も拝見したかったですね。
檜皮葺きの本殿
「武内宿禰命 終焉之地」碑 双履石への石段参道

双履石
御祭神「武内宿禰命」は第十二代景行天皇から仁徳天皇までの五朝にお仕えされ、大臣の祖として日本の国づくりに御活躍の後仁徳天皇五十五年春三月、この亀金の岡に双履を遺し齢三百六十余歳にてお隠れになりました。
その石を双履石と称し命御昇天の霊石として今に伝わる当社の原点です。
境内社:国府神社案内 神主さん達が朝のお勤め・ご祈祷を
されに拝殿にいらっしゃいました。
社殿右側に建つ「神饌所」
拝殿左に置かれた「福徳亀」 拝殿右に置かれた「飛躍の鳥」
絵馬

「獅子舞」案内拡大写真はこちらで