栗渓(くりたに)神社

鳥取市栗谷町33-1 (平成21年8月1日)

東経134度14分48.29秒、北緯35度30分6.79秒に鎮座。

この神社は県警察本部から東に栗谷川に沿って約500m程遡ると左側に鎮座しています。入口に大きな社号標が建ち、境内まではかなり急な石段を上がりますが、その途中に二基の鳥居が建立されています。境内は山の中腹の大きな岩盤の上に造られ、豊かな森の中で荘厳な佇まいを見せています。
入母屋造りの拝殿には様々な彫刻が施され、玉垣内には大きな流造りの本殿が建立されています。境内社も二社あり、右手の岩盤の窪みには神池が造られています。
道路が狭く、こんなに奥の、しかも石段が急で、参拝が難しい神社ですが、氏子さん達には大切にされ崇敬が篤いのでしょう、私達の前後にも参拝者がいらっしゃいました。

御祭神:須佐之男神
祭礼日:6月15日
境内社:西の宮社、稲荷社
由緒:創建は不詳ですが、播磨国広嶺神社の分霊を勧請奉祀し、往古は正一位牛頭天王と称し、社地を天王山というようになりました。陰徳太平記四十八巻に、「鹿ノ助中山諸将ノ指麾ヲ司テ久松ノ城ニ押寄セル 中略 鹿ノ助搦手ノ天王ノ尾ヨリ山伝ヒニ城ノ後を廻リテ推寄シカバ云々」と記してある天王の尾とはこの社の社地である山の尾を示しており、元亀3年(1572)にはこの地に鎮座していたと言うことの証でしょう。
けれど享保5年(1720)鳥取大火の際に社殿及び棟札古記録など悉く消失してしまいました。
明治元年(1868)栗渓神社と改称し、次いで村社に列格せられ、明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定されました。
(「神々の坐ます国」参照)

社頭
石段の参道下部に建つ明神鳥居
石段の参道
石段の参道上部に建つ台輪鳥居
境内入口
境内の様子
手水舎 境内社:西の宮社
玉垣のすぐ後ろ、明治生まれの出雲丹後丸尾タイプの狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
阿の顔面右側では今まさに蝉が
羽化しようとしていました。
(維時明治4年(1871)5月水災破損 明治44年(1911)6月改築)
拝殿前、大正15年生まれの岡崎狛犬
(大正15年(1926)9月吉日建立)
拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬と象
拝殿正面
拝殿扉に彫刻された狛犬
本殿
境内社:稲荷社
御神木
境内右側の様子
境内右側にある神池