木乃実(このみ)神社

鳥取市湖山町東5(平成21年8月1日)

東経134度11分33.1秒、北緯35度30分35.39秒に鎮座。

 この神社は「JAとっとり因幡」に隣接して鎮座しています。我が国を代表する和梨「二十世紀」の原木を御神体とする神社という情報を得ていたので参拝の運びとなりました。この地には昭和48年に遷座…ということで、とても綺麗に清掃整備された神社でした。

 「JA全農とっとり」の公式サイトによると
 昭和15年に鳥取県果物同業組合が県内の梨生産者より浄財を募って計画し、昭和16年6月25日に県農業試験場津ノ井園芸試験地内に造営されました。
 以来、毎年この日を例祭日として果実の豊穰祈願祭が行われ、さらに昭和59年11月からは秋の収穫感謝祭が加わりました
 現在地に遷座されたのは昭和48年のことで、鳥取県果実会館の建設に際し、木乃実神社造営奉賛会が組織され、当地に新築・移転されたものです。同時に宗教法人「木乃実神社」が設立され、現在はJA全農とっとりが管理しています。
 ちなみに、果物が「神」になったのは、「二十世紀梨」と「桃」、「橘」の三つです。
とのことです。

 「二十世紀梨」とは
 青梨系の中生種で、一般的な唯一の青梨。和梨生産の13%を占める生産量第3位の品種である。また、鳥取県産梨の8割を占める。
 1888年に現在の松戸市で、当時13歳の松戸覚之助が、親類宅のゴミ捨て場に生えていたものを発見した。松戸は「新太白」と名付けたが、1898年に渡瀬寅次郎によって、来たる新世紀(二十世紀)における代表的品種になるであろうとの観測と願望を込めて新たに命名された。なお、当時は西暦の概念さえまだ一般的ではない時代であったため、非常に先進的な命名と言える。
 その後、1904年に鳥取県に導入され、鳥取県の特産品となった。花は鳥取県の県花に指定されている。発祥の松戸市を含む関東地方では現在あまり栽培されなくなっている。
 果皮は黄緑色で美しく、甘みと酸味のバランスが良いすっきりした味わいで果汁が多い。収穫時期が比較的遅く、(水分の多い)梨の需要が見込まれる夏・初秋に収穫できないのが欠点でもある。自家受粉が出来ない(これは二十世紀に限らず)、黒斑病に非常に弱いといった欠点を改良した品種もある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
 因みに我が家の雑学の大家(息子のことです)に依ると、この「二十世紀梨」、現在ではロシアにも輸出され大好評。高級フルーツとして持て囃されているのだそうです。

神社入口 靖国鳥居 社号標
境内の様子
拝殿 拝殿に架かる額
本殿
二十世紀梨に関係する功労者なのでしょうか?境内右側にある人物碑