加知弥(かちみ)神社

鳥取市鹿野町寺内152 (平成21年7月28日)

東経134度3分23.65秒、北緯35度28分30.85秒に鎮座。

 この神社は32号線に面しており、参道入口隣にはJA鳥取いなば勝谷ふれあい館が建っています。注連柱を横に見て綺麗な参道を歩くと、途中に一の明神鳥居が建ち、右側の勝谷地区集会所では、夏休みなので沢山の子供達が元気に遊んでいました。茅の輪が据え付けられた神橋を渡ると、二の鳥居の後ろの石段上に随神門が建ち、境内の玉垣を透かして拝殿が見えてきます。周囲が緑一色の境内は綺麗で清々しく、唐破風付きの豪華な拝殿や本殿も自然と景色にとけ込み良い感じでした。又、境内には長屋風の合社や東照宮、若宮、荒神、聖明神、稲荷神社などを祀った小さな境内社も祀られています。
 全体的な印象として良く整備された、緑が美しい神社でした。

 御祭神:中座:彦火火出見命、左座:鵜萱葺不合命、右座:玉依姫命
 祭礼日:10月21日
 境内社:勝宿稲荷神社、東照宮、若宮、荒神、聖明神、砂田神、玉川神、今市神、宮方神、中園神、早尾神、高田神、三平神、重山神、福田神、勝山神、澤田神、濱村神、宮川神
 由緒:加知弥神社は大字寺内、通称飯田の森と呼ばれるところにある。
 創立年代は不詳だが、延喜式神名帳にのっている古社で、昔は勝宿大明神と呼ばれていた。
 中世以降武将の崇敬が厚く、永禄8年(1565)には、武田高信、田公高清、矢田幸佐などが社殿を造営。また、天正8年(1580)には吉川元春が戦勝を祈念して社領を寄進している。この折の元春の祈願状と寄進状は県の保護文化財に指定されている。(境内案内「鹿野町教育委員会」)

 加知弥神社は気高郡鹿野町寺内飯田の森にある。創立年月はつまびらでないが、延喜式神名帳にのっている式内の古社でむかし勝宿(かししゅく)大明神といい、旧社地は宮谷あるいは明神ガ鼻であったという。中世以降武将の崇敬があつく、永録8年(1565)には武田高信、田公高清、矢田幸佐等が社殿を造営し、天正8年(1580)には吉川元春は戦勝を祈願して社領を寄進した。なお元春の祈願状、寄進状2巻が昭和32年12月県の保護文化財に指定されている。
 社伝によると天正年中豊臣秀吉は防己尾(つづらお)城落城のとき社領を寄進したとのことである。また元和9年(1623)には池田光政が社殿を修理し、寛永10年(1633)国主池田光仲はあらためて社領39石6斗9升3合を寄進したが、そのご累代の藩主も崇敬篤く社殿の営繕あるごとに金殻木材を寄進し幣帛を奉納した。
 明治4年には県社になり同40年3月、神饌幣帛共進神社に指定された。大正2年11月には、当社の摂社および付近の神社14社を境内に合祀して1社をたて、あらたに勝宿神社ととなえた。
 寺内部落の薬師堂付近には、塔礎とみられる礎石がある。遺瓦は奈良後期のもので、むかし勝宿大明神の別当寺の旧跡だといわれている。
(「平成祭データ」より)

社頭
社号標
「式内社 加知彌神社」
参道途中の一の明神鳥居
神橋と茅の輪
二の明神鳥居
随神門
境内入口
境内の様子
拝殿拝殿に架かる額
「加知弥神社 勝宿大明神」
妻入りの本殿 側面と正面
本殿目貫彫刻・龍
本殿木鼻・狛犬と象
境内社:勝宿稲荷神社 境内社:東照宮、若宮、荒神、聖明神
合社:砂田神、玉川神、今市神、宮方神、中園神、早尾神、高田神、三平神、重山神、福田神、勝山神、澤田神、濱村神、宮川神