鳥取市香取369(平成21年7月31日)
東経134度14分57.62秒、北緯35度26分5.05秒に鎮座。
この神社は意上堤が参道入口となっていて、山の中腹に鎮座する境内までの約500mの参道が、原生林の巨樹の中を通るという、今までに余り経験したことのないハイキングのような参拝気分を味合わせてくれる、けれど一方では、神秘的で神聖な雰囲気が満ちあふれた神社でした。
社務所(紙子谷61)は神社からおよそ1.4kmも離れたところにあり、一の鳥居も参道入口から800mも手前の道路端に建っています。
参道入口という標識があるのは意上堤が造られた山あいで、全山神社の社叢という広大な自然林の県自然環境保全地域の中を約500mほどの参道が続いています。途中には道切りでしょうか、神域の結界を示しているのでしょうか、注連縄が張られ、小川やどろどろのぬかるみ道があり、登山道のような参道の様子に「この道で本当にあっているのか?」と始めは不安を感じていましたが、注連縄が張られていたことから、神社へと続く道であることが確信できました。
境内に近づくと参道は苔の張り付いた急な石段となり、脇には川が流れ、小さな滝が連続し、その素晴らしい景観に、今までの疲れも吹き飛んでしまいました。
境内正面には前面が開け放たれた開放的な拝殿が建ち、その中に本殿が建立されています。その本殿縁には余り古くはありませんが、木製の神殿狛犬も居て、嬉しさも倍増。
はるばると山の中を分け入っての参拝でしたが、最高の気分を味合わせてくれた神社でした。
御祭神:須佐之男尊
祭礼日:祈年祭・旧暦3月1日、春祭(例祭)・旧暦3月9日、秋祭・旧暦10月9日、新嘗祭・11月下旬
由緒:社記によると文徳天皇仁授2年(853)神階正6位を受けられ、醍醐天皇延喜5年(906)後一条天皇万寿3年(1026)には奉幣使が参拝するなど、往古より朝廷の尊崇が深く、また国中に異常ある時は国主が必ず祈願したという、延喜式内に列する古社であり、県内屈指の大社です。
江戸時代までは七社大明神と呼ばれ、周辺の村の総社で、藩主の崇敬も特に篤く、大祭には多数の参拝がありまた武士は騎馬等を催し盛大でした。
今なお境内には巨樹が林立し県の天然記念物に指定されています。
参道入口から800mも手前の道路端に建つ一の両部鳥居 地図にはここにも「意上奴神社」の神社マークが付けられていますが、実際には鳥居しかありません。 |
意上堤が参道入口となっています。 |
意上堤の溜池 |
参道入口 |
意上堤からシイノキ、タブノキ、ウラジロガシなどの原生林の巨樹が続く参道が約500m、山の中腹まで続いています。途中には道切りでしょうか、神域の結界を示しているのでしょうか、注連縄が張られ、小川やどろどろのぬかるみ道があり、境内に近づくと急な石段参道脇には小さな滝が連続しています。これらが全てこの社の社叢と言うことですから驚きですね〜。ハイキングよりチョッとハードな参拝道でしたが、古の日本の姿を彷彿とさせ、素晴らしい自然が満喫できる環境の自然林でした。 | |
境内入口 |
拝殿前、明治38年生まれの出雲構え獅子 吽の尾が元から取れているのが残念です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(明治38年(1905)11月吉日建立) |
拝殿 |
本殿 |
本殿縁にいる木製神殿狛犬 | |