姫路神社

鳥取市気高町八束水1207 (平成21年7月28日)

東経134度01分35.38秒、北緯35度30分52.48秒に鎮座。

この神社は姫路公民館に隣接して鎮座しています。この社には江戸時代末期に活躍した名石工・川六さんの狛犬が居るという情報で訪れました。
境内は綺麗に清掃され、周囲を鎮守の杜で囲まれた静かで落ち着いた神社で、流造りの本殿の木鼻の狛犬も彫りが深く異変に満ちた良い出来の物でした。拝殿前には丸い台座の上に乗った川六さんの狛犬が居ましたが、その他、拝殿前の軒下にも小さな狛犬が居たのでしょうか、四角い台座に「此処に置かれた狛犬さんはただいま博物館に出張中です。」という張り紙が置かれていました。川六さんの狛犬をさしおいて博物館に出張中…ということは余程古いのか?出来の良い物なのか?とにかく残念至極無念の感が拭えませんでした。

御祭神:素盞雄尊、大日霎尊、稲田姫尊、事代主尊、保食神
祭礼日:4月第4日曜日
由緒:神社明細帳に「勧請年月詳かならずと言えども宝亀2年(771 奈良時代)と古書に記載あり」と記せり、往古より姫路、船磯の氏神にして三所牛頭天王と称した。
寛永10年(1633 江戸時代)旧藩主より信仰暑く社領外高一石八升寄進せらる。
明治元年境内に御鎮座の稲生大明神(保食神)を合祀し、姫路神社と改称、同5年村社に列格、翌6年7月本殿を再建。大正9年7月神饌幣帛料供進神社に列せられる。
昭和32年12月、百手神事が県無形民族文化財に指定。昭和61年4月弊殿並び拝殿全面改築。

狛犬の一対は江戸時代末期に気多郡(気高郡)や高草郡(鳥取市西部)地方で著名な気高郡青谷町気多河原の名石工「川六」の作である。殊に子持の狛犬は類がない。

県無形民族文化財指定の「百手の神事」は、神社に保存されている古文書によると、光仁天皇の御代の宝亀2(771)年、諸国に疫病が大流行した時、疫神を鎮めるよう勅令が発せられたことにより始まりました。
その昔、二本を一手として百手二百本を放ったと伝えられ、これが「百手の神事」の語源であると考えられています。
昔は全国的に行われていましたが次第にうすれ、鳥取県下では、姫路神社に残すのみとなっています。
宮司は二夜三日の間社殿で潔斎して、家族とは別のなま火を使わない料理を食べ、神の権化となって「百手の神事」にのぞみ、行列三順目に荒ゴモに垂れ下がる「的」に向かって十二本の矢を放ちます。
これにより、その年の吉凶を占うとともに、国家安穏、疫病退散、無病息災、五穀豊穣等を祈願します。
「残しておきたい ふるさと 気高の宝」より)

「姫路神社由緒概要」はこちらで

社号標と鳥居社頭

境内の様子

嘉永2年生まれ、江戸時代末期に活躍した名石工・川六(本名:尾崎六郎兵衛)の狛犬です。川六の狛犬は彫りが深く、大きな目と耳、ややペチャンコな鼻、太く大きな尾が特徴のようですが、この狛犬で特筆すべきは、やはり子狛が居るという事でしょうか? 出雲丹後風の親狛に対して、小さな岩に乗った出雲構え獅子風の子狛が力強く彫られています。13年後に造られた気高町八幡・八幡神社の狛犬は完全に独創的な川六らしい狛犬でしたが、片鱗は垣間見られる物の、この時期には未だ出雲風からは脱却できていないようですね。

狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・川六 嘉永2年(1849)2月建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(石工・川六 嘉永元年(1848)6月建立)

本殿

本殿木鼻・狛犬と象
境内社