白兎神社

鳥取市白兎603(平成21年7月28日)

東経134度07分03.39秒、北緯35度31分19.20秒に鎮座。

 この神社は末恒駅の西約1.8kmにある、白兔海岸南の身干山と呼ばれる丘の上に鎮座しています。幼い頃から余り深い意味も分からずに語り聞かされていた日本神話「因幡の白兎」縁の地で、白兎が御祭神となっています。
 9号線脇の道の駅「神話の里白うさぎ」南に一の鳥居が建つ参道入口があり、石段を上り参道を歩くと、国の天然記念物に指定され日本海沿岸の原始林の特徴を残した常緑のタブ、シイ、アカガシなどが鬱蒼と茂った社叢が見えてきます。
 社叢右手には「白兎が大国主命の言葉に従って身体を洗った」という言い伝えが残っている御身洗池がありますが、この池は如何なる旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされる「不増不減の池」とも呼ばれています。
 境内は左手にあり、太い注連縄の架かった拝殿の後方に、玉垣に囲まれて妻入りの本殿が建立されています。本殿の土台には28弁の菊花を彫刻した菊座石が置かれていて、神社創建が皇室と何らかの関わりがあったものと推察される、全国的にも珍しい土台石だそうです。
 神社入口前に広がる白兎海岸は「因幡の白兎」伝説の舞台といわれ、弓なりに連なる美しい白い砂の浜辺です。沖合い150mに浮かぶのは白兎が渡ったとされる淤岐ノ島(おきのしま)で、島の近くには点々と続く黒い岩礁があり、まるで神話に登場するワニザメのように見えないこともありません。近くには自生地の南限として国指定天然記念物・ハマナスの群落があり、5月には濃いピンクの花が咲き芳香が辺り一帯を漂うそうです。

 御祭神:白兎神、配祀:保食神
 祭礼日:4月17日
 由緒: 白兔神社は古事記、日本書紀に記されている由緒の明らかな所謂「因幡の白兔」で有名な神社である。
 古事記に曰く淤岐ノ島に流された兎海の和邇を欺きて気多之前まで渡らむとせしが欺きを知りたる和邇により悉く衣服を剥がれ泣き悲しむ兎に八十神の命もちて海塩を浴みて風に当り伏せれば前にも増して痛みはげしく、ここに大穴牟遅神(大国主命)その兎に教へたまはく「今急くこの水門に往きて水もて汝が身を洗ひて、水門の蒲黄を取りて敷き散らしその上に輾転てば汝が身、本の膚の如必ず差えなむものぞ」と教へたまひき。かれ教の如せしかば、その身もとの如くなりき。……
 日本医療の発祥の地であり古来病気傷痍に霊験あらたかな神様である。
 尚、大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様でもある。
(境内案内板より)

 白兔神は日本神話に登場する因幡の白兎のことであり、その説話の内容から皮膚病に霊験のある神として、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから特定の人との縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、特定の人との親交をより深めると信仰される。さらに、遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるという。
 創建の由緒は不詳である。かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。現在の本殿は明治時代の再建。
 鎮座地は身干山と呼ばれる丘で、因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられる。境内には、白兎が体を洗った御身洗池がある。御身洗池は旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれている。本殿の土台には28弁の菊の紋章が彫刻された菊座石が使われており、当社創建に皇室が何らかの関わりがあるのではと言われている。動物医療の神でもある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭 一の明神鳥居
社号標 参道入口の石段
参道の様子と二の明神鳥居
白兎神社社叢
日本海沿岸の原始林の特徴を残し、
常緑のタブ、シイ、アカガシなどが鬱蒼と茂っています。
手水舎
不増不減の池・御身洗池
「白兎が大国主命の言葉に従って身体を洗った」という言い伝えが残っています。
境内入口
境内入口にいる建立年代不明の出雲構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿に架かる太い注連縄と大きな〆の子
本殿
本殿木鼻・狛犬
本殿を支える菊座石
可愛い兎の書かれた絵馬

「大国主命と因幡の白うさぎ」像と白兎海岸
白兎海岸の沖150mには兎が漂着したという淤岐ノ島があり、鳥居も建立されています。