天穂日命(あめのほひのみこと)神社

鳥取市福井361 (平成21年7月31日)

東経134度7分43.67秒、北緯35度30分2.86秒に鎮座。

 この神社は湖山池の西側に鎮座しています。狭い路地に面して鳥居が建っており、参道の石段を何回か登ると社務所の建っている平地があり、更に石段を上がった上に境内があります。社殿は湖山池に向って建てられ、妻入りの拝殿後方に、素晴らしい彫刻が施されている流造の本殿があります。参道から境内にかけて、欝蒼とした社叢に囲まれた自然豊かな神社です。

 御祭神:天穗日命
 祭礼日:4月17日
 由緒:式内社で旧社格は郷社。主祭神・天穂日命は因幡国の古代豪族・因幡国造氏の氏神であったと言われる。社地の背後には前方後円墳らしきものが確認され、因幡国造氏との関連が考えられる。付近には天穂日命の子・天日名鳥命を祀る天日名鳥命神社、御熊命を祀る御熊神社(正式には「阿太賀都健御熊命神社」という)が存在する。
 創建年代は不明、『因幡志』によれば古くは高草郡布勢の現・日吉神社社地にあったという。古代豪族・因幡国造氏の氏神として祀られ、因幡国造氏の勢力拡大と共に成長した。貞観9年(867年)5月には正三位に叙せられ、官社に列した。
 9世紀半ばには宇倍神社より上位の神階に列し、因幡国内で第一の神社であった。『延喜式』には高草郡七座小社のひとつとして記載されている。
 室町時代末期に現在の社地に移転したと考えられ、江戸時代には六王(むおう)大明神と称した。
 明治元年(1868年)、現在の社名に改称、明治3年(1870年)には福井村の荒船社を合祀した。明治12年(1879年)には荒船社を元の社地に荒船神社として分祀したが、荒船神社は大正3年(1914年)、稲荷神社と共に同神社に合祀された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭 明神鳥居 鳥居に架かる額
石段参道の様子
境内入口
境内入口に居る慶応3年生まれの出雲丹後狛犬
出雲丹後とはいっても、造りが大分異なるので、多分地元の石工さんの造った物でしょう。浪速っぽい顔つきで、潰れ顔をしています。随分縦長の体つきで、足の間が補強のためか繋がっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(慶応3年(1867)9月建立)
昭和12年生まれの子連れ出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和12年(1937)3月吉日建立)
境内の様子
拝殿
流造の本殿
優雅な流造の屋根の下に素晴らしい彫刻が施されています。
本殿彫刻拡大写真はこちらで
合社 什器庫?宝物庫?