逢坂八幡宮

西伯郡大山町松河原233(平成21年7月29日)

東経133度33分16.49秒、北緯35度30分56.46秒に鎮座。

 この神社は9号線の松河原信号から後谷川に架かる橋を渡ると大きな森の中に鎮座しています。
 社号標の建つ入口から鳥居を潜り玉垣内にはいると、随神門が建っていますが、その中には随神さんと共に綺麗な彩色が残っている神門狛犬が居ました。随神門からは石段の参道となり、石段両側は綺麗な石組みが組まれた石垣で、その上には出雲丹後狛犬がおり、割拝殿風に中央を通る社務所か参集殿の様な建物が建てられています。
 境内正面には妻入りの拝殿が建ち、その拝殿と一体となった造りの本殿が建立されています。又、境内社も沢山祀られていました。
 森の中の境内は静寂そのもので、ゆったりとした時間が流れる中、心静かな参拝が出来ました。

 御祭神:誉田別尊、息長帯姫尊、田心姫尊、湍津姫尊、市杵島姫尊、天照皇大神、素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、天之忍穂耳尊、大山祇尊、木花咲耶姫尊、倉稲魂命、武内宿禰命
 祭礼日:例祭日・5月4日、
 特殊神事:筒粥祭・旧1月15日、蛇祭・旧2月15日、神幸祭・5月4日、古伝祭・旧8月15日
 境内社:摂津神社(池田摂津守利政朝臣)、武内神社、白狐稲荷神社、荒神神社、足鶲ノ神、旺磐ノ神等
 由緒:貞観7年3月、豊前国宇佐八幡宮より勧請せる所、最初は「大阪郷宇佐八幡宮」と称し、中古は「大阪八幡宮」と号し、最も崇敬厚き神社として多数の神田あり。又、神官社僧も多く祭祀に奉祀した。
 応仁の乱以後、神田廃棄神官社僧も共に減少す。天文12年(1543)5月 尼子晴久当社に祈願し霊感ありて、同年6月5日、神田百二十石を寄附し義久 勝久 皆先規を襲ふ。此の時神官社僧も再び増員す。慶長3年(1598)4月、社殿火災ありて旧記多くは焼失せり。神宮寺の遺跡として神社境内に一小堂あり。本尊は薬師仏を安置せしが、慶応4年(1868)秋、神社取調べの時廃せられ、仏像は一時村内の仏堂に隠したるを、今は神社の宝物として保存するも故あって六角堂を宮山に建て之を祀る。
 寛永中 八橋汗入両郡領主・池田摂津守利政郷内岡村に住館、連枝誕生多く因て産土神と厚く崇敬せられ、毎年祭典費寄附せらる。後、国換に因て備前国に移転あり、同10年11月26日、因伯大守松平相模守社領高三石五斗八升を永く寄附せらる。池田氏数世の後、大蔵少輔知利に至り、備前より因幡に帰藩あり。旧に依て復厚く当社を崇敬せられ、永く祈願所として毎年金若干の奉納あり。弘化3年(1846)丙午の秋、池田式部利壽幕提灯等を寄附せらる。是より幕提灯はすべて池田家の紋章を用ふ。
 慶応4年(1868)神社取調の時、社号を逢坂神社と改められる。
 合殿武内宿禰命は本社創立の際より相殿に奉祀す。又、倉稲魂命は本社境内に末社と崇敬奉祀せしが、慶応4年(1868)に合祭す。明治5年2月、郷社に列せられ、明治40年2月3日、神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
 大正6年4月、逢坂村大字松河字宮木鎮座無格社松河原神社(祭神 素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、多紀理姫命、狭依姫命、多紀津都姫命、正哉吾勝々速日天之忍穂耳尊、天照大神)、同村大字岡字枝屋敷鎮座無格社岡神社(祭神大山祇尊、木花開耶姫命、倉稲魂命 )を合併す。同年8月同村大字殿河内字谷鎮座無格社殿河内神社 (祭神 素盞鳴尊 )を合併す。大正9年12月社号を「逢坂八幡神社」と改称す。
 昭和28年6月、宗教法人法に依る設立登記をする。

「逢坂八幡宮」由緒書きはこちらで

社頭 社号標
入口の明神鳥居
入口前の広場と随神門、鎮守の杜の様子
随神門
随神門内で胡乱な侵入者を見張っている随神さん
随神さんの足元で、同じく不審者に目を光らせている神門狛犬
綺麗な彩色が残り、阿は入口方向に首を曲げ、吽は真っ直ぐ正面を向いています。肩幅が広い筋肉質な体つきをしており、脚の臑毛の長さが目立ちます。
狛犬の拡大写真はこちらで
石垣と石段参道
石垣の上、割社務所?前にいる文化12年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化12年(1815)3月吉日建立)
割社務所?参集殿?
妻入りの拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿長押の上の彫刻・唐獅子と牡丹
拝殿木鼻・狛犬と象
本殿
社殿全景
境内社:白狐稲荷神社
白狐稲荷神社社殿脇に勢揃いしている親子三代の狐さん
境内社:武内神社・摂津神社
境内社:荒神神社 境内社:足鶲ノ神
境内社:旺磐ノ神 境内社:塞ノ神?