日吉神社

西伯郡大山町赤松(平成17年11月23日)

 この神社は大山から24号線で米子方面に降りていく途中の赤松入り口で右折。600mくらいの右角の大山小赤松分校対面に鎮座しています。日吉神社というからには御祭神は 大山咋神、大己貴神と思われますが、創建は分かりませんでした。入り口左に赤松池大龍王神御住、幸福・交通安全守護神、という案内板があったので、一瞬間違った神社に来てしまったのかと思いましたが、社務所にはきちんと日吉神社とあったのでやはり間違いではなかったようです。
 帰ってきてから調べたところに依ると、この神社と東約700mにある美しい池・赤松の池には美しくも哀しい伝説が語り継がれていました。それは「昔、松江の殿様に仕える松浦瀬母という家老が、子供欲しさに霊験あらたかな赤松池大明神へお参りしたところ、待望の女の子が誕生しました。その女の子をお初と名づけ慈しみ大事に育てておりましたが、美しく育ったお初を藩主が見初め、妻にと望んだのです。ところがお初は藩主の申し出でを拒み、赤松の池に戻ってしまいました。実は、お初は赤松の池にすむ大蛇だったのです。」というお話です。今でも赤松の池の半島には祠があって、御神体としてお初の像が奉られており、日吉神社では同じ日に例祭も行われているということです。

神社入り口 拝殿
本殿 お賽銭箱の前には龍王神関係なのでしょうか?
蛇が蜷局を巻いたような蝋燭立てがおいてありました。
明治も終わりの出雲構え獅子ですが、阿の下顎が大きく欠けています。
身体の瘤や尻尾はきちんと残っているので、何かがぶつかったのでしょうか。良い出来なので残念です。
(明治43年3月建立)
時々見かけますが、文政13年(1830)は歴史上は無くて、実際には天保元年生まれの出雲丹後狛犬です。
情報の行き交う現代とは違い、地方に元号が変わったことが伝わるのが遅れていたのでしょう。
同じ来待石でも若干の材質、堅さの違いはあるのでしょうか。
この狛犬は剥落もなく、出雲丹後の特徴を全て供え、綺麗に見せてくれています。
(文政13年(1830)3月吉日建立)