天萬(てま)神社

西伯郡南部町天萬990 (平成26年7月23日)

東経133度21分40.56秒、北緯35度22分15.43秒に鎮座。

この神社は、町役場天萬庁舎の北西500m程の辺り、天萬の街外れに鎮座しております。

御祭神 天照皇太神・天手力男神・天萬栲幡千々姫神

由緒
當社の東方20町、現在の岸本町、長者原に屋敷をかまえた時の豪族、進甲斐録兵衛尉紀成盛が正和元年(1312)に創立したものであります。長者は常に伊勢の皇太神宮を崇敬し毎年参宮をしていましたが、年をとり今年かぎりで御参りも出来なくなると考え、21日間御伊勢さんにお籠りをして満願の夜夢ざとしを受けて、よろこんで帰って見ますと、天万の日の岡山の森の樹の上に毎夜三つの光り物が現れるので附近の人人がいろいろと、とりざたをしていると云う話が長者の耳に入りました。長者の夢はそれでありました。来て見るとまがいもなく鏡と矢じりと、御伊勢さんの御しるりであり、これこそ自分が御まつりすべき御伊勢さんから、さずかった御しるしであると。天万の氏神さんである熊野権現、今の摂社熊野神社(創立年代不明)の社地に仮宮を造営。正和元年(1312)5月鎮座祭を行い、同11月には社地を拡げ、社殿も新築成り盛大な遷座祭が行われたと記録されています。その当時は南に向かった現在の上の馬場道が裏参道でありましたが、長者は自分の住む長者原に向って130間、幅4間の新しい大参道をも寄進しました。現在の正面参道がそれであります。その當時をものがたる様に長者原から流れ出る谷川を渡る橋のあるところの地名を奉賀橋といゝます。これはその当時長者の行列が通る橋としてかけられた奉賀橋と名付けられたゝめ橋の名がそのまゝ地名となったものと考えられます。
当時は天万の御伊勢さんとして近郷の崇敬をあつめると共に、上方街道、出雲街道を往来する旅人はこの天万宿で泊ったり、休んだりして、旅の安全祈願のために参る人で大へん賑ったと云う事です。
境内由緒書き より。

神社遠景

参道入口

随身門

拝殿

一体だけの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
一体だけの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
一体だけの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
平成生まれの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(平成18年(2006)11月吉日建立)

注連縄

本殿


熊野社

熊野社を護る出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(平成14年(2002)壬午7月吉日建立)

末社。参道には吽のみでしたが、相方はここに移されたのでしょうか。