赤猪岩(あかいいわ)神社

西伯郡南部町寺内232 (平成26年7月23日)

東経133度21分06.81秒、北緯35度21分43.65秒に鎮座。

この神社は、米子市の南7km程の辺り、寺内の街並から外れた溜池の近くに鎮座しております。

御祭神 大國主神・素戔鳴命・刺國若姫命・稲田姫命

由緒
当社の創立年代は不明ですが、今より千参百年ほど前の和銅五年正月、西暦七一二年に編纂せられた古事記に依りますと、此の神賢明、仁慈を好み給われ、『初め兄弟八十神あり、大國主神と共に、因幡の國の八上比売を訪問し給ふ途に、裸兎あり八十神謀りて之を苦しむ、大國主神見て之を憐れみ為に療法を教へ給ふに兎喜びて謝し曰く、「八上比売は八十神の言とば聞き給はずして君こそ姫を得給ふべきなれ」と、八上比売の許に至るに果して其言の如し、於是(ここに)八上比売、八十神に答へけらく「吾は汝等(みましたち)の言は聞かじ。大穴牟遅神(大國主神)に嫁はな」と言う。故爾(かれここ)に八十神怒りて、大穴牟遅神を殺さむと共謀りて、泊伎(泊耆)國の手間の山本(ふもと)に至りて云ひけるは「此の山に赤猪在るなり。故和礼共に追ひ下りなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ」と云ひて猪に似たる大石を火以て焼きて転ばし落しき。爾追ひ下り取る時に、其の石に焼き著かえて死せ給ひき。爾に其の御祖命(母神、刺國若姫)哭き患ひて天に参上りて、神産巣日之命(生成の神)に請し給ふ時に、及ち 蚶貝比売(あかがい)と蛤貝比売(はまぐり)とを遣せて、作り(治療)活さしめ給ふ。爾蚶貝比売 岐佐宜集めて(けづり焼)、蛤貝比売 清水を持ちて、母の乳汁と塗りしかば、麗しき壮夫に成りて出で遊行きき』と古事記にありまして、此の手間山は大國主神の御遭難地であり蘇生再生復興された地でもある為に、ここにお祀りして、御神徳を称えたものであります。大國主命は出雲、伯耆を根拠として専ら山陰、山陽、北陸までの国土を御経営になりましたが、大神の御神性は特に英明、温厚篤実仁慈博愛堅忍不撓の精神を発揮され幾多の辛酸をなめられつゝ国土の開発に終始せられたその広大な御神徳は後世の人々の敬慕し奉るところで此の神社の創立せられた所以もこゝにあるのであります。大神の焼きつかれし猪に似たる石は地上にあって之を穢すを恐れ土中に埋没せりと云い伝られ。明治四年無格社に列せられ大正六年久清神社を又大正九年に山頂の赤猪岩神社を合祀し、現在に至っています。

大國主神は、素義鳴尊大世の孫ともまた御子なりとも云い伝う。 素戔嗚命は、須佐之男命、建速須佐之男命とも云う。 刺國若姫命は、大國主命の母神。 稲田姫は、櫛名田比売とも云い須佐之男神に嫁すともある。
○清永井
大國主神の療養に際し両比売の用ひし水は当社より西へ約4町距たった清水川地区に現存し蚶貝蛤貝の清水と称して泉々として湧き出る水あり。
由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

参道途中の出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

二の鳥居

境内入口の出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

本殿


大国主命が焼けたこの岩を抱いて落命されたという