國廳裏(国庁裏・こくちょうり)神社

倉吉市国分寺426(平成21年7月29日)

東経133度47分20.43秒、北緯35度25分39.51秒に鎮座。

 この神社は伯耆国庁跡のすぐ傍に鎮座しています。参道入口からは緩い石段が続き、一般道を挟んで両部鳥居と「伯耆國総社國廳裏神社」と書かれた社号標が建っています。
 手水社で手を清め隋神門を潜ると、境内は明るく広く正面中央奥に大きな拝殿が建立されています。その境内には軽トラやワゴン車が入っていましたが、これは社務所建設のための工事関係者の車のようです。又、その工事のために動かされているのでしょう、境内の端には4対の出雲丹後狛犬が固まって置かれていました。
 拝殿後ろには大社造の立派な本殿が建立され、その左脇にはスダジイの大木が大きく天に向かって聳えていました。
 今回は、工事の為にいささか雰囲気や景観を損ねる状態でしたが、神社本来の姿は静かで落ち着いた、清々しい感じなのではないかと思わせる、素敵な神社でした。

 御祭神:大己貴命、少彦名命、木花之開耶姫命、保食神、大山祇命、櫛稲田姫神、素盞嗚神、大國主神、品陀和気命、玉依姫命、天児屋根命
 祭礼日:4月21日
 由緒:大和時代伯耆国の国造に大八木足尼が任命されました。国造は国庁をこの地に設置しましたが、大国主命を深く崇敬し、又、命に協力した少毘古那命も合わせた二柱を国庁の中に祀り、国庁裏神社と称しました。国廳裏の裏は、内裏の裏(うち)という意味合いです。
 伯耆とは、久米、河村、八橋、会見、日野をいい、国造はこの管内の祭事と政治を担っていましたが、奈良時代・元明天皇の和銅2年(709)11月に、伯耆の国司・金上元為は事務が多くなり、国中の神社に巡拝することが出来なくなってきたので、国庁の敷地内にあったこの社に、国内主要神社から御祭神を分霊勧請し、代表神社として祭典を行うこととしました。この代表神社を総社といい、「三代実録」には貞観15年(873)従五位下を授けられたと記されています。
 昭和20年2月に県社に昇格し、現在に至っています。
(「由緒記」「全国神社名鑑」より)
 松・杉・モミ・桧などで構成される鎮守の杜は「伯耆国府の森」として倉吉市の保存林に指定されています。

参道入口
境内入口に建つ両部鳥居 社号標
「伯耆國総社國廳裏神社」
随神門
境内の様子
明治40年生まれの出雲丹後狛犬
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(明治40年(1907)1月建立)
建立年代不明の出雲丹後狛犬
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天保3年生まれの出雲丹後狛犬
背筋を伸ばした縦長の姿が美しい狛犬ですが、阿の顔面が欠けているのが惜しいですね。
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(天保3年(1832)9月建立)
建立年代不明の出雲丹後狛犬
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拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿屋根下にいる建立年代不明の小さな出雲構え獅子
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大社造の本殿
御神木・スダジイ 大黒像
建設途中の社務所