尉殿(じょうどの)神社

西東京市住吉町1-21-1 (平成29年5月10日)

東経139度33分12.65秒、北緯35度44分26.19秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武池袋線「ひばりヶ丘」駅より徒歩15分程の所に鎮座しています。私は下保谷天神社より歩いて来ました。当神社参拝後「ひばりヶ丘」駅まで徒歩。途中、キャベツ畑を多く見かけました。西東京市で一番多く栽培されている野菜はキャベツとのこと。

御祭神 級長戸辺命(しなとべのみこと)・天照皇大神

御由緒
境内除地二段、青梅街道の北側にあり、村の鎭守なり、大門の通り四十間許、社は三間に五間半、前に鳥居を立、緣起等なければ、鎭座の年月も知べからず、村内寶光院持、
庵 鳥居に向て左にあり、小庵なり、社を守る人こゝに居れり、
新編武蔵風土記稿>野方領>上保谷村>尉殿權現社 より

 尉殿神社は永正2年(1505)の創建と社伝されます。
保谷の歴史を鎌倉時代末期から室町時代にかけて建てられた板碑や、『熊野那智大社文書』『小田原衆所領役帳』などに記載された「保谷」によって検証したとき、この神社が中世の末期、上保谷に祀られていた社伝は不自然でなく、しかも永正2年に村鎮守となった可能性が高いようです。それから177年後の江戸時代初期天和2年、『上保谷村惣氏子』と銘文された石燈籠が寄逢されました。中世末期から村鎮守としての歴史を経て、一村をまとめた「惣氏子」という表現になったものと考えられます。
 石燈籠銘文(左右同文)
天和二年壬戊九月吉祥日
尉殿権現宮御賓前祈願成就所
奉寄進燈籠二基造立之
武州新倉郡上保谷村惣氏子敬白
 尉殿神社は江戸時代が終わるまで、本地垂迹思想=神仏習合にもとづいて尉殿権現と称され、上保谷村草創のころ、なくてはならない生活用水を守護する、水の神ジョードノを祀ったことにはじまります。江戸時代その本地の神体は仏教の水の守護神倶利迦羅不動明王(西東京市指定丈化財第三十号『木彫彩色倶利迦羅不動明王像』寶晃院蔵)であり、垂迹=権現の神は龍田風神(奈良県生駒郡龍田神社)の祭神級長津彦命と級長戸辺命の男女二座でした。
境内案内板「石燈籠一対、天和2年(1682)建立」 より

旧社号を尉殿権現と言い、古くから上保谷村の総鎮守社であった。創建当初、尉殿権現は宮山(現在の西東京市谷戸町付近、古くは上保谷分だったと伝承される)にあったが、1622年(元和8年)に上保谷の尉殿権現に、1646年に田無の尉殿権現(現田無神社)にそれぞれ分祀された。なお、宮山の尉殿権現の創建については、上保谷の伝承では建長年間(1249年 - 1256年)、田無の伝承では正応年間(1288年 - 1292年)とされている。
なお、旧神体の倶利迦羅不動明王(現在は旧別当寺の寳晃院に安置)は水の神で、祭神の級長戸編命は風の神である。これは、水に乏しく、秋から冬にかけて風が吹き荒れた保谷の風土にふさわしい神が祭られていたと考えられる。
ウィキペディア より

入口 社号標

参道

お惚け顔が楽しい、江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正13年(1924)8月建立)

手水舎

結び所

拝殿

鞘殿


石燈籠一対。社殿裏へ階段を上りました

社殿裏

駅への帰り道、キャベツ畑。

キャベツ
西東京市で一番多く栽培されている野菜は、キャベツです。市内には多くのキャベツ畑があります。市内の小学校の給食にもよく使われています !