阿波洲(あわしま)神社

西東京市新町2-7-24 (平成29年4月22日)

東経139度32分42.64秒、北緯35度42分44.82秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線「田無」駅より南へ徒歩20分程の所に鎮座しています。

御祭神 高望王(たかもちのきみ)・少名彦名命(すくなひこのみこと)

 阿波洲神社は宝暦二年(一七五二)粟嶋明神として勧請されました(別当寺『寳晃院文書』)。 江戸時代中期の明確な創建年次を持つこの神社は、享保九年(一七二四)から開発が始まる武蔵野新田の一つ、上保谷新田の鎮守神として祀られました。粟嶋明神が表記を阿波洲神社に代えたのは明治以降ですが、祭神に変更はありません。
 粟嶋明神は紀伊の国(和歌山)加太浦の淡島明神を総社としており、祭神は女神の頗梨采女(はりさいにょ)と粟=淡にちなんで 日本神話に登場する少彦名命(すくなひこのみこと)でした。江戸時代江戸浅草の浅草寺境内に祀られた淡島(あわしま)明神が女性の人気を呼んで信仰されたように、上保谷新田の粟嶋も、拝殿前の鈴(れい)に下がる五色の紐を切って安産の腹帯にする習俗や、女性たちの針供養・捨雛が行われていました。指定文化財となった二十一枚の絵馬のうちには、子さずけや安産、婦人病平癒などを祈願したとみられる「夫婦拝み」など四枚があり、庶民的な図柄では「大工職人」、秋の「祭礼」、おそらく上保谷村如意輪寺の馬駈け市に出かける道中の「飾り馬」などがあって、信仰心意の種々相と、当時の習俗を伝える貴重な資料となっています。
 こうして阿波洲神社は、女神の特徴や庶民信仰の側面を持ちながらも、新田とはいえ独立した一村の鎮守神であったことから、その年中行事は豊耕神の少彦名を祀る神社として、全て村の農作の豊饒を祈念する儀礼でした。
平成七年三月     西東京市教育委員会

小社なり、本村寳光院の持
新編武蔵風土記稿>野方領>上保谷新田>淡島社 より

正面入口

社務所

狛犬。年代・昭和53年(1978)9月吉日

手水舎

拝殿

鞘殿

裏側入口

振り返って