杵築(きづき)大社

武蔵野市境南町2-10-11 (平成30年4月5日 令和2年2月16日)

東経139度32分57.95秒、北緯35度41分47.46秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR中央線、武蔵境駅駅より南へ徒歩10分程の所に鎮座しています。

御祭神 大国主命・事代主命

御由緒
年貢地、三段、小名本村にあり、小祠、拝殿二間に三間東に向へり、出雲大社は同國杵築といへる地に鎭座せり、されば土人信仰の餘り、此所に勸請せしなるべし、其年月等は詳ならず、村内鎭守、例祭九月廿一日新座郡保谷村寶光院の持なり、
新編武蔵風土記稿>多摩郡>境村>杵築大社 より

約350年前、出雲国松江藩初代藩主、松平直政が当所を御用屋敷と定め鷹狩場であった屋敷と伝えられている。
また松平直政は三代将軍家光の従兄弟にあたり、徳川家との縁も深い。
徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願し、この地に出雲の杵築大社(現出雲大社)と稲荷神社の両社を創建された。
戦後商売繁盛の神「えびす様」を出雲の美保神社より合祀し「大国様」と共に二福神を祀る神社として、人々から厚く信仰れている
武蔵野市観光機構>杵築大社 より抜粋

この神社は、杵築大社といい、今から三百六十年程前、徳川三代将軍家光の従兄弟で、家康の次男、松平秀康(越前国六十七万石領主、福井北ノ庄城々主)の三男、松平出羽守直政(出雲国松江二十九万石領主、松江城々主)が、当所十二町四方を御用屋敷と定め鷹狩りをして遊ばれたところと伝えられております。
出雲の殿様、松平出羽守直政公は大変信仰厚く、当屋敷内に徳川幕府の繁栄と、天下泰平を祈願され、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を御創建されました。
承応年間、徳川四代将軍家綱は、玉川上水を築き新田開発を行ったので、当所、松平家屋敷奉行境本䮎馬太夫は長百姓となり、境新田の開拓につとめ、子孫、境本仲右エ門は、境村の名主として村人と共に活躍した。貞享年中、当大社は御上地となり、境村の氏神社として大社様と呼ばれ、崇敬されるようになった。
戦後、神社信仰衰微に対する啓蒙的願望と地元商店会の発展を念願して、商売繁昌の神、出雲の美保神社よりえびす様を勧請し、大黒様と共に「恵比寿・大黒」二福神を祀る大社として、地元住民はもとより近隣市町村の人々から広く、崇敬をあつめている神社です。
境内社に八坂神社・稲荷神社・冨士浅間神社・金毘羅様そして弁天様があり、特に三大祭は盛大に行われます。
境内案内板 より

来戸さん、再訪されたようです。境外社、弁天宮を最後に追加しました。

御朱印

車用の出入口、左側は舞殿裏側

左へ

正面入口

境内

参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正12年(1923)11月建立)

御神木

手水舎

拝殿

本殿


八坂神社

本社神輿殿

稲荷神社

富士山。左側の鳥居が入口、右側が出口。

山頂の祠

舞殿

町内祭具庫


境外社、弁天宮

神徳無極