富賀神社

三宅村阿古 (平成22年11月6日)

東経139度29分16.87秒、北緯34度3分7.7秒に鎮座。

【神社情報・ORION 7076さんより】
大きな鳥居をくぐって約200〜300mほど坂を下ると、右側に参道が見えてきます。途中、脚の折れた鳥居がありました。塩ビパイプ製のようです。台風かも知れません。建物自体は2007年に立て直したようです。
拝殿後ろに階段があり、その両脇に境内社がありました。階段上にかすかに屋根が見えましたが、残念ながら階段はゲートで塞がれており、登ることはできませんでした。本殿でしょうか。
周りは小高い山なのですが、何年か前の噴火で枯れた木が緑の中からにゅっと立っており、何か奇妙な風景のなかにある神社でした。

江戸時代流刑地だったこの島の由来は、いくつかあるようです。事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島に来て、付近の島々を治めたという伝説から宮家島といった説。8世紀に多治比真人三宅麿が流されたことから三宅島とした説。火山が噴火することから御焼島に由来する説。等々がある。
ウィキペディアより

富賀(とが)神社
この神社には、事代主命(三島大明神)、伊古奈比当ス(后)及び阿米津和気命(王子)の三人が祀られている。
事代主命は、父大国主命と共に出雲国島根半島から紀伊国に渡り、更に三宅島に渡ってこの神社附近に居住し、島々に漁業や農業を伝えて島の基盤を築いたといわれている。
また、一説には、事代主命の墓所でもあるともいわれている。境内からは、古墳時代の土器や勾玉、耳飾などが発掘され、現在保存されている和鏡も平安時代にかけてのもので、古社であることがうかがわれる。・・・・・
境内由緒書より。

221号線脇に立つ一の鳥居

参道と二の鳥居。奥に見えるのが本殿でしょうか。

手水舎と参道

狛犬と拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

拝殿

神額

剣宮・見目宮

若宮・壬生宮

ゲートで塞がれている石段

境内より見る三宅島の景色