箭幹(やがら)八幡宮

町田市矢部町2666 (平成29年5月17日)

東経139度24分31.23秒、北緯35度34分33.76秒に鎮座。

この神社は、JR横浜線・淵野辺駅の北東1.5km程の辺り、静かな住宅街に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后

康平5年(1062)、源義家安倍氏を討ち、奥州より帰る途中、木曽に宿り、病にかかって毎夜悪鬼に責められる夢に見た。当社に祈願せしめられたところ、夢に神翁現れ、悪鬼を射倒すと見て病忽ち快癒した。ここに於て本宮末社に至るまで、尽く再興して神恩に報いたと言い、この時屋根に羽矢を挿入し、又境内に矢竹繁茂せるを以て、箭幹八幡宮と名づけ、この地を矢部と称したと伝う。
保元平治の乱に敗れた源義賢は大蔵の館に拠り、これを迎撃した源義平は木曽仲兼任、渋谷金王丸、鎌田正清等を率いて、図師原付近に於て会戦した。勝敗容易に決せず、両軍乱戦死闘、義平の軍危しと見えた時、突如老翁と童子現れ、矢を拾って郷土軍を授けた。ここに於て将兵等、これ八幡宮の化身ならんと、神意を恐れ、遂に社前和睦を誓った。この時甲冑矢の根を埋めた所を根岸と名づけた。後の小山田有重所領17郷の総鎮守として尊信篤く、社地、建造物の寄進も多く、社参の道に今も鳥居坂の地名が残っている。
寛文5年(1665)、代官高木伊勢守大鐘を鋳て鐘楼に掛け、後、代官梁田隠岐守亦社殿を再建して、領民と共に盛大な祭儀を挙行した。
明治に至り宮号は廃止されたが、戦後再び古名に復した。祭神の神徳広大、学問、産業、災厄防除の守護神として広く尊信されている。
境内由緒書き より

参道入口と一の鳥居

参道

境内

二の鳥居

随身門

拝殿

渋い江戸流れですが、剥落が残念!。拡大写真はこちら。
(嘉永2年(1849)己酉6月建立)

本殿


子育て獅子

木曽神輿殿 鐘楼