徳船(とくふね)稲荷神社

中央区新川2 (平成22年5月22日)

東経139度47分6.02秒、北緯35度40分11.86秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
亀島川の南高橋の左岸側(新川2丁目)の橋詰、新日鐵のビルの入り口の脇には、平成3年から「徳船稲荷神社」という小さな社が設けられています。もとは隅田川河畔にあったものを、少し先の中央大橋の架橋工事の際に現在地に移転したものだといいます。徳川家と縁深い神社です。
小さいですがとてもきれいな神社でしたので報告します。

徳船稲荷神社縁起
徳川期この地新川は、越前松平家の下屋敷が三方堀割に囲われ、広大に構えていた(旧町名越前堀はこれに由来する)。その中に小さな稲荷が祀られていたと言う。御神体は徳川家の遊船と舳を切って彫られたものと伝えられる。
明暦三年、世に云う振袖火事はこの地にも及んだが御神体はあわや類焼の寸前難を免れ、大正十一年に至るまで土地の恵比須稲荷の安置された。関東大震災では再度救出され、昭和六年隅田川畔(現中央大橋北詰辺り)に社を復活し町の守護神として鎮座したが、戦災で全焼。昭和二十九年中央大橋架橋工事のため、この地に遷座となる。
例祭は十一月十五日である。
新川二丁目越一町会崇敬会。原文はこちら。

恵比寿前稲荷祠、同所東湊町の南、高橋の北詰、人家の間にあり(別当は天台宗にして普門院号す)。昔は、向井(将監)侯のやしきにありしが、海賊橋より引き移られし頃、宮居を構の外に出だされしとぞ。このところをゑびすの宮前、または、蛭子前と唱へはべり。古老云く、昔、この地より銕炮洲・築地へかけて、一円の海なりし頃は、ここかしこに出洲のみあり。このあたりの洲に芝海老といえるもの多く集まる。ゆゑに、漁人字にえびの洲と唱へ、その洲崎にありし稲荷の宮なるをもて、海老洲の宮とのみ、よびならはせしが、後世誤りて、蛭子神に混じ、また、夷子に転じ、いよいよ附会せしなりとぞ。この説、さもありなんかし。
『江戸名所図会』より。

社殿と南高橋

亀島川